【感想】『海岸通り』坂崎かおる
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海辺の老人ホームで派遣清掃員として週に三日だけ働く主人公は、毎日施設の外にあるニセモノのバス停でバスを待つ入居者のサトウさんに声をかけ、息子の嫁と勘違いされながら話をしている。ときどき、家を出て行ったというサトウさんの娘のふりをして彼女に話しかける。あるとき、サボり癖のあった元同僚の神崎さんの代わりか、新たにやってきたウガンダ出身のマリアさんの指導を任される。
登場人物はそれぞれに客観的に苦しい状況におかれているし、いまの日本の社会の色々な苦しい要素が扱われているけれど、暗かったり重苦しい筆致ではなく、むしろ少しとぼけたユーモアのある、読みやすい雰囲気が良い。
そのとぼけた雰囲気とも親和性のある要素として、この主人公は、信頼できない語り手とまではいかないまでも、話していないことを多くもっていて、主人公ですらそうなので、他の人物の状況についても同様、わからないことが多く残る話にはなっている。けれどそれは謎が残ってしまったとか明確に答えがもらえなかったというような不満には繋がらない種類のもので、気持ち良い、良い意味での余白が多く残してある小説のように思った。終盤のツイストが仕掛けとして成立するのは主人公が語りすぎないからではあるので、そこは仕掛けのために必要だった要素とは言えるけれど、それが目的だったとは思わなかった。小学校の時に友達がおらず掃除に精を出していた、それも見られると良い子扱いされてしまうのでこっそりと掃除にとりくんでいた、という過去以外には過去らしい過去は語られず(彼女がなりすまそうとする「ミサキ」の生い立ちの方がよっぽど詳しく語られる……本当のミサキなのか、ニセモノのミサキなのかはともかく)、帰る実家も頼る家族も「ない」、自分のために怒ることはできなかった彼女が、最後には他人のために怒ることができ、行動することができたのは爽やかな(と自分は思った)結末に繋がっていた。
とはいえ、とはいえそれでも、謎らしい謎が意図的に残してあって、答えがあるのかは不明だけどヒントはあからさまに置かれているので考えたくはなってしまう。主人公の名前については、蛇、生まれ年、ということで、「巳」とかつくのかな、と思ったらミサキとの繋がりみたいな連想ゲームは通るけど、そういうことでもないような、なんかそれはできすぎのような、よくわからない。また、一番最後のシーンで男の子が気にする匂いは、汗のにおいと考えるのが素直なのだけれど、単なる普通の汗のにおいに対しての反応の描写としては不自然で、男の子の「知ってるにおい」「会ったことがある」という言い方は、主人公が「古い記憶に基づくにおい」と表現したマリアさんの汗のにおいのイメージに繋がっていて、でも何も考えずに読んだらこのバスの車内にマリアさんは当然いない。その前にバスに乗り込むときに主人公がサトウさんの背中に手を添えた所作は、老人ホームでの仕事の初日にマリアさんの仕草を見て主人公が感心したのと繋がっていて、あとそもそも汗をかく踊りというのもマリアさんから教わったもので、なんか、そういったところからこう、要素が来ているのだろうか、ということを考える。答えがあるのかはともかく、考えられるだけの要素とか構成がしっかりしているのが安心感もあっていいなと思った。