今の日本社会である、ということだと思います。だからこそ「この作品の数多の差別表現が問題ないことだとスルーされそれらの差別が継続していく社会」ではなく「正当・適切に批判され差別を是正・解消していく社会」でなくてはいけないと思います。
そして、作者及び編集者・出版者による神道LGBTQ+連絡会の方々への(それが法律上では合法、違法性がない、不法行為には問えないものであったとしても)差別的(信仰や宗教行為を(無自覚であれ)軽んじる作中の描写や作外でのやりとり)・搾取的(専門家・当事者による専門的な協力・尽力への適切な報酬や謝礼があったのか?)、少なくとも敬意がない言動や表象の問題も非常に大きい。
完全無欠の一切差別的言動を行わない人間など存在しないのだから「自分が無自覚に行ってしまった/しまっている差別」の可能性から免れる人など存在せず、特に無自覚ゆえ、また自分だけでなく多くの他者も同様である差別言動についての自分への批判は防衛的に反発してしまいがちであるという心理的傾向があることを前提にして批判に対して反発的にならずに向き合うという意識を持ち続ける意志、それこそが私は反差別主義の→
李琴峰『言霊の幸う国で』、大分前に図書館に予約を出していたのが先週の火曜日にやっと借りられて(所蔵があり貸出中だったわけではなく、リクエストしたら相互貸借ではなく新刊購入になって長々時間がかかった)、今300Pくらいまで読んだところなのだけど、この小説を反差別にコミットする(ですよね?)方々が無批判に称賛しているのが(お仲間だから、あるいは反差別運動にとっての意義ゆえや作者のマイノリティ性ゆえに"多少"の差別的表現は許容する、以外には)意味が分からないほど様々な差別表現が頻発しています、ここまででも。
でも本当に悪い現状なのだけど、残念ながら李琴峰氏や称賛者がとりわけ差別への認識が浅い/粗い/甘いというわけではなく、日本社会で反差別にコミットする方たちの中でも差別言動を「頭の悪さ」を原因にしたり、紐づけたりする能力主義差別言説や批判対象を「◯◯教/信者/神話・病/症候群」と比喩する宗教差別言説、(健常主義)病者・障害者差別言説を問題ないことだと考え悪気なく使用し支持している人がむしろ多数派なぐらいの状況であるわけで、その結果としてこの小説が発表たらしめられ、支持されている、それが→
自民党の政治家、良くも悪くも昔はもっと複雑性があったと思うし、いまの極右一択みたいなのが異常なんだよな
福田康夫は初めて「非核三原則の見直し」を言い(後に撤回)、統一教会とつるみ(息子達夫が継承)、防衛費増額や消費増税を唱えた一方で、自民党きっての親中・親韓派として関係改善に尽力もしているわけで、なかなか評価の難しいじじいである。 https://twitter.com/kouraihaku/status/1830460121274519873
・李琴峰さんの『言霊の幸う国で』に祝詞が無断で改変/掲載された
・上の本には宗教差別をはじめ多くの差別的表現がある
・問い合わせ最中に個人のSOGIや差別被害等の情報を含むDMが無許可で筑摩書房に共有された
https://x.com/nemuribi/status/1829952200237621588?s=46&t=W6JFOp-IuiLQhD_im3POJQ
という話をXでしています。
そのうち連絡会から声明を出します。
フィクションが現実の存在を傷付けるさまを見てしまうのは、フィクションがないと生きていけない人間として、自分もささやかながら描く人間として、ほんとうにつらい。
twitterでも同じ話題をRTしてましたが、エントリー読んでショックだったのは、DMでの個人間のやりとりを、作品でネタとして使用されたらしいということだった……。
ポールモンキーがセープテンバーをお知らせいたします
https://www.youtube.com/watch?feature=shared&v=8bmuMcjN0rQ
歴史、とくに文化史、服飾史に興味があり、メインは日本の古代~中世ですが、他の国や地域の文化も調べたりしています。お絵描きもしますがこのアカウントにUPするかはまだわかりません。
トランス差別を含む、すべての差別に抗いたいです。The Future is INTERSECTIONAL.