現代の一般的な日本人の宗教忌避がタチ悪いのは、伝統宗教から切り張りした宗教観は素朴なスピリチュアルとして受け入れてたり、季節イベント化した宗教儀式は大好きだったり、宗教的な美術工芸や建築には敬意を払うポーズをとる事が好きだったりする(ただし教理や神仏の存在は信じていないなどの言い訳をする)。ガワの娯楽消費に抵抗がないと、宗教への忌避感があると自覚しにくい。
大衆文化とは得てして表層のみ切り取った娯楽消費に走りがちなものだが、宗教界やメディアがその換骨奪胎に迎合し過ぎだし、迎合することでカネが動くシステムになっちゃってるし、むしろ迎合しないことは悪だとさえされてしまっている。自分たちが気持ちよくなれないシューキョーやスピリチュアルには、不快で押し付けがましい上から目線の小難しくて怪しいもの、ときっちり線引きがされる。それは「寛容」とは言わんだろ。
エンタメ化含む迎合も布教のうち、ではあるんだけど、表層のみ消費して本質は拒む壁が硬すぎるのに、それは諦めてエンタメ化や迎合だけが善い努力、それをしない「頭の固い」宗教側は悪であるかのように見做されてしまってるのがどうにもな……。
ただし、日本にも信心深い人達は居るし、歴史的にも居たので、現在の娯楽消費至上で本質理解を拒否する風潮が「日本人(民族)の普遍的気質」であるとは私は考えていない。
蛇足だけど、遠藤周作の「沈黙」で有名な「この国は沼だ」というやつ、言いたいことは痛いほどわかるんだが、それ本当に日本だけなのか?て思うんだよな
補足しときますが、「素朴な信心」とかスピリチュアルな興味関心がだめとか本質理解にはならんとかっていう話ではなくて(個人の内心に関わることだし)「素朴な信心、敬意、崇拝」「生半可」「素人感」「あくまで好奇心」とかでむしろ留まっていなくてはならない、「ガチ」になると一転忌避されてしまいがちなところが差別的だという話です。
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ただし、日本にも信心深い人達は居るし、歴史的にも居たので、現在の娯楽消費至上で本質理解を拒否する風潮が「日本人(民族)の普遍的気質」であるとは私は考えていない。