そこから本質理解が追い付いていく可能性だってあるから、全否定はできないんだけど
私は戦後の平和教育は失敗したと思っている。少なくとも現在は瓦解しかかっているのではないか。
平和は尊い善、戦争は醜い悪だというお題目を道徳として叩き込んでしまって、なぜ戦争は悪いことなのになくならないのか等、本質を問い続けることを教えられなかった。
だから、応用がきかない。
特に日本以外の、立場が共有できない。私達もう反省してるよねという内輪ノリを共有できない所からの批判に対して非常に脆弱で、自らの誇りのためにも、事実を受け止め、誠意を示し謝罪するということができない。
結果、わけもわからないのに謝罪を要求される、負けを認めさせられるという屈辱を味わう人が出てきてしまう。
本質理解を目指し問い続ける姿勢を放棄し、誰かの決めた道徳を善悪の判断の規範にしてしまう今の日本社会において、フェミニズムもまた換骨奪胎され『道徳』に組み込まれてしまうことを危惧する。
平和教育と書いたけど、そこに娯楽の果たしてきた役割も大きいよなー
当事者に苦難を語ってもらう形式はアーカイヴのために必要不可欠なことだったけれど、それを受け継ぐ側は、受け止めて自分たちの世代なりの答えを探さなければならない。
その重い負担を受け止める余裕が持てず、安易に道徳に丸投げされてしまった。
「政治的」なフィクションは嫌われるし、「道徳的」という言葉もつまらないものと認識されがちだけど、人情に訴える形の実質道徳的フィクションは逆にウケるよな。