長編読むと大概「僕」がめちゃくちゃ美化されてて、女性たちはその美化の無機的な装飾品で、そのアンドロイド的な美しさが好きな人がいるんだろうな。メーテルみたいな。
肉体的な描写が出てきても、それは人形の精巧さ、人工的なリアリティへのリビドーなんだろうな。
て、読んでる当時さえ思ってたので、今読むと更にどうなんだろうな。
昭和のハードボイルド小説みたいなの掘り返して読んでると、メーテル風『マドンナ』像自体は別に珍しくもなくて、キモいとは思ってもそういう欲望を我慢しないと色んな作品読めなかったんだよな。
最近の作品は知らんが、アップデートされてたりはするんだろうか
読み始めたのがパン屋再襲撃とかをタイトルで買ったからで、無知なことに、そんなに日本中でも有名な作家とは知らなかったんだよな。
短編集ばかり読んでて、オシャレ版星新一みたいな感覚だったかも。
初めて長編(ねじまき鳥クロニクル)読んだ頃には有名なのはなんとなく知ってたけど、読んで「なんかすごいファンタジー小説だけど、こんなよくわからん話をそんなに沢山の人が読んで理解して支持してるのか??」て思ってた。