「同性愛嫌悪感情への配慮」というより「異性愛規範への配慮」だと思う…別に同性愛じゃなくても、異性愛規範を阻害するものにはペナルティがあって当然であり、幸せにはなれない・幸せになるところを見せてはいけない
同性愛的な表象もあくまで娯楽として消費され、尚且つ最終的に異性愛規範の前に敗北する姿が表現されるなら、むしろ逸脱は不幸にしかならんのだという見せしめと刷り込みになり得るため許されるが、ハッピーエンドや結婚などもってのほか
というそれだけであって 同性愛者の姿さえほんとはまともに目になんか入ってないんじゃないのか
「それはない」「社会が許すはずがない」「幸せになるのは不自然だ」「結ばれない方が美しい」等々、どこまでも、異性愛規範の内側から同性愛を賞翫する立場でしかなくて、同性愛への嫌悪や差別感情の自覚まではほんとに達してもいないのではないか。関心がないから嫌悪までいかない。消費OKなフィクションのキャラクターじゃないリアルの同性愛者なんかどうでもいいと思ってるから。