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エバンゲリオンの最後の映画

物語というものは推進力がなんなのかという事がかなり大きいと思うのだが、エバは結局突然現れる眼鏡っ子おっぱいが推進力として帰結するという庵野さんのまあ言うたら奥さんである安野モヨコさんなんだと思うんだが、やっぱそういう切り口って幼稚だと感じてしまう。結局シンジ君は自分の足で峠を越えたわけではないんだと見えてしまうあの帰結。宮崎駿のどう生きるは1人の少年の生きるか死ぬかをきちんと本人の推進力で描き切っている。甘えというか他力本願の甘さが無い分グッと来るものがあるというか。まあ庵野と宮崎駿を比べては悪いけど、でも比べてしまうわ。庵野は結局いいように奥さんに転がされている自分が好きなんだろうなあ。(想像)綾波とか飛鳥とか女性のバリエーションもあんまリアリティがないというかおっさん目線の都合のいい女ばかりという印象だ。ってエバを悪く言ってすみません。。。テレビシリーズは私も好きだったけど、なんだかねーでした。と、どう生きるかを見たらエバがどういう意図の映画だったのか良く見えてきてエバを解体してしまったので記す。

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