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とある肖像.
✒加州清光

それは父の書斎にあった。
ベロアのカーテンに隠されて、ひっそりとそこに。
微笑んでいるようにも、泣いているようにも見えるその憂いを帯びた表情に、幼い私は心奪われた。
「あの女は魔女よ」
興奮で息を切らしながらその素晴らしい絵について語って聞かせると、そう母は吐き捨てた。

曰く、卑しい下等民族の出でありながら、その若い肉体でもって父に取り入り、妾の座を得た魔性の女だと。
それはおよそ幼い息子に語る内容ではなかったが、私は幼いなりに理解した…彼女のことは二度と口にしてはならないと。
あの儚げな女性に、魔性という言葉ほど似合わぬものもないと思ったりもした。
好色な父のこと、きっと彼女の心すら顧みずに無理やり手中に収めたのであろう。
この頃には私は、すでに父への信頼というものが皆無であったから、まあ母の言葉もそれほど衝撃ではなかったのである。
それにしても。いつも違う女性を連れている父だが、彼女たちの絵を描かせたりはしなかった。それがあの黒髪の乙女だけは、肖像画を作成し美しい額縁に嵌め、自室にこっそりと隠し持っていたわけである。なるほど確かに、別格なのだろう。

そして私もまた、彼女の魅力に取り憑かれてしまった。
絵の中の乙女に、懸想してしまったのである。
それからは毎日、両親の目を盗んで彼女の姿を眺めた。薄い唇を引き結んだその静かな表情は、私の心情に優しく寄り添ってくれるように思われた。
家のことを顧みず、遊び歩くだけの父。
父の爛れた女性問題に金切り声を上げてばかりの母。
血の繋がった彼らよりも、絵の中の彼女のほうがずっと、私の心に近かった。
この女性は今、どうしているのだろうか。少なくとも私が生まれてからは、一度もこの屋敷に来ていないはず。こんな美人、ひと目見れば頭から消えないはずだ。となれば、父に愛想を尽かして去ってしまったのだろうか。それでいい、とは思うけれど、一方で至極残念にも思えた。
どうか生きていてほしい。父の手も母の声も届かない場所で。この絵を見る度、私はそう祈らずにいられないのだ。

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