これがやたら回ってくるし、たしか広瀬隆さんが『危険な話』で鳥山明さんを名指しで罵っていたなかの1人に混ぜていたと記憶するけど、1981年において、明確に「反原発」を鮮明にしていた政党は社会党しかなく、それとて右派は容認したくてしゃーなく、左派に引きずられて文句言いまくりのなかでしぶしぶ従う、という状況だった。電機労連系や東海大学松前家の関係者は、それでも「核の平和利用」を説いて止まなかった。
そこから2年遡っても社会党と公明党だけが「反原発」で、自民党新自由クラブ民社党共産党は基本的に「核の平和利用」促進派だったのですよ。
したがって鳥山氏がこれを描いても、「彼が社会党左派のシンパではない」ことくらいしか証明していないのです。
ウヨサヨの話ではないことを、81年当時の文脈では、考えておかなくては。
それでも「粗忽者だな」とは思いますよもちろん。