あと、いまのDMS-5だと、ペドフィリアとは「実際の行為に移す」か「行為をしないことにより激しい苦痛、困難に直面している」ことが絶対条件で(つまり高確率で犯罪を犯したことにより診断される)、逆に欲望のみで行為を抑えられている、日常生活を送れる人に社会的スティグマを負わせるべきではない、という論文も出ているらしく、ただこれnoteでの解説だからソースとして貼っていいかわからないのと、精神医学(でいいのか?)の専門家の間で論文がどれぐらい支持されてるかが書いてないから、参考にとどめておく
「欲望する」と「行為におよぶ」の間には距離があるし、「欲望する」に止めてその欲望を表明してない人たちがいるなかで「欲望しただけで悪だし、あいつら人間じゃないよね」という言説が飛び交うことは、結果属性による断絶と孤立を招くというのは間違いないのでな…理性によって原則も現実も同時に重んじなければならないし、これは実に難しいよ…
被害者への連帯とケアは絶対。「行為」は厳しく罰するべきだしそれに強く反対する。そのうえで、おぞましい「内心の自由」とどう向き合うか、という話なんだろうな…。これ、立ち位置だけの話にすると、配偶者からのDV被害とDV被害者による児童虐待の構図に近いな…ほぼ日人生相談騒動を思い出してきた…
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「欲望する」と「行為におよぶ」の間には距離があるし、「欲望する」に止めてその欲望を表明してない人たちがいるなかで「欲望しただけで悪だし、あいつら人間じゃないよね」という言説が飛び交うことは、結果属性による断絶と孤立を招くというのは間違いないのでな…
理性によって原則も現実も同時に重んじなければならないし、これは実に難しいよ…