社会的には新左翼の自滅の中で、権力がデモやストライキ、抗議集会に社会運動を徹底的に貶めて、警察や自衛隊といった暴力装置への疑念をイメージ戦略でうまくごまかしたのと、個人から見たら上手に怒る方法を教えず、抗議を「妥協」「我慢」「和」と「ズルい」「わがまま」「迷惑」の両方で抑え込んできた結果、SNSで怒りが滲み出てるんだとも思う。
現実の和を乱さず安全に言論を駆使出来る空間としてのSNSという話と、和で怒りが否定される歪さ両方の面がある>BT

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在日外国人、発達障害、鬱、障害者、病人、女性やトランスジェンダー、ノンバイナリーといったジェンダーとしての少数派、職と住所のない人、引きこもっている人、DV被害者、無国籍・無戸籍の人、たくさんのマイノリティと弱者にとって怒りとは生存のための声である。マジョリティで「普通」であることへの同調圧力と排除、デモや社会運動への冷笑と境遇への諦念が常識とされている社会で、せめてSNSで声を表明したいというのを、私は「安全だから」とは括りたくない。弱くとも布団の中からも蜂起できるのだと、むしろ思いたい。

· · SubwayTooter · 0 · 6 · 13
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