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はたらいて、[あ、性格の悪い方のスティーブの相方だった、派遣会社の広告塔に成り下がった方のスティーブだ!]う

一瞬、イカ塩辛パンとかいう食べ物が存在してるのかと思った

日テレ、1時間近くずっと森友問題、赤木氏の自死と財務省の文書改ざんについてやってた。

終盤部分、これ、要するに民事裁判やられても政府がやったことを隠したいがために相場の100倍でふっかけられた1億円の賠償額を国が税金で払って法廷から逃げたってこと。
それを予算から計上したのは今の岸田内閣及び与党で、岸田内閣は現在進行系で多額の予算を出してまで情報を隠蔽し続けてますよってことをもっとはっきり言って欲しかった。

右翼のみなさんの間でときどき出回ってる教育勅語の12の徳目なるもの、そもそも出所が不明で(明治神宮のサイトには載ってるけど……)その時点でアホ臭い感じが溢れているのだが、これ、勅語の中の徳目を並べてるセクションで「常に国憲を重んじ」だけが露骨に無視されてるんだよ。おれは(ほぼ)暗唱できるからすぐわかったぞ。

まあそりゃそうだよね。日本国憲法は右派のみなさんには滅ぼすべき大敵だから憲法を重んじられたら困るわけだ。教育勅語中の憲法は日本国憲法ではなく明治憲法なわけだからむしろ筋が通ってると言えば筋は通ってるんだけどね。でもそれじゃあ「現代でも通用する」とか「民主主義的」とか言えないよね。イデオロギー出しすぎよ。

その番組のキャプを発見したので貼っておく。以下文字起こし。

この作品は日本の50年代に流行した神風映画の慣習に反しているんです。これら50年代の日本映画はある意味ジレンマに陥っていました。

イギリスやアメリカにとってはどうでもいいことだったのです。私たちは戦争に勝ったからです。

英雄を目にすることもできました。残虐な行為もすべて絨毯の下に押し込められました。軍事裁判を受けることもありませんでした。犯罪者扱いもされませんでした。

しかし、日本人は、日本の映画人はこの問題にどう対処したのでしょうか?

若者たちが神風特攻隊として出撃するために恐ろしい犠牲を強いられたのですから、彼らを犯罪者とは言えません。誹謗中傷することはできないのです。

そこで日本映画界は発想を逆転させました。

彼らを「悲劇のヒーロー」という考え方に結びつけていったのです。

しかし、この考え方は政治的にも利用されました。

神風特攻隊を作ることを思いついた大西瀧治郎は、遺書にこう書きました。「日本は戦争に負けるが
この特攻精神で将来日本を再建する」のだと。

つまり「失するとも気高く」という考えです。
『肉弾』はそのような通念を取り上げて愚かだと言ったのです。岡本はこれをブラックコメディに絶対的な茶番劇に仕立てるのです。

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『肉弾』は話的には気の抜けたブラックコメディで、かなりサイケデリック。軍隊はアホらしくしか描写されない。映画の後半部分は広い砂浜にひとりで敵兵の襲撃に備えているうちに変な人たちと交流するシーンがずっと続く。昔の映画らしく差別用語も出てくるし、セックスワーカー蔑視、女性蔑視的な描写も多い。基本的に日本の侵略という側面はとりあげられていない。

この話ですらある意味での特攻の美化だとは思うけど、少なくともイケメン俳優の英雄的な悲劇としては描かれていない。たぶん大谷直子と結ばれるのも主人公の妄想でしかない。

『あの花が咲く丘で』は、制作側から「戦争について考えるきっかけにしてほしい」みたいなコメントが出ているが、特攻をヒロイックな悲劇として描いてもなにもいいことはないと思う。戦意高揚映画じゃないんだから。

『肉弾』が作られた背景には、1950年代に特攻を美化する作品が出てきたことに対するアンチテーゼの面があるということを今年放送されたNHKのドキュメンタリで言ってた。

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