ある小説家さんが「傲慢な援助」という本(の、確か原著。英語版)を読んで「本当に必要なのは(ここうろ覚え)その地域への寄り添い型援助なのでは(この後もいまうろ覚え)」というようなことを書いてらした。
正確なことは蔵書を掘り起こさないとわからないけれど、入浴中にフトそのことを思い出してうーんってなってます。
援助ってそもそもがなんか傲慢な性質を帯びかねないものじゃないかなあ。
インフラが必要、医療がだいじ。そういうけど、それはほんとうに望まれているものなんだろうか?
むしろ、採掘権なんかと引き換えに、「強い」側が、「それがあれば生活が豊かになる」みたいに詐欺まがいのことをしているんじゃないか。
わたしはアイヌの方たちに鮭の狩猟権が認められなかったことも、まだ納得できてない。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。