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日々の労働に疲弊しつつ、寝る前に安藤馨『統治と功利』を少しずつ読み進めているのですが、「みんなが幸せなセカイ(最大多数の幸福)」を追求するうちに、「(個人の、永続するものとしての)人格」なんてものにしがみつく必要はない、自分と他人とを区別する必要もない、という結論に至るところにきていて、めちゃくちゃ興奮してます

村田沙耶香さんの小説とかアボガド6さんの曲とかVTuberの話とかで似た言葉に触れるのですが、わたしは自分の身体感覚にぼんやり違和感があり(「なぜ目鼻がこの位置にあるの?」「手足の構造や指の数はなぜこうなの?」みたいな……)、VRアバターを自作するという行為には形容しがたい救いを感じています。これまではイマジネーションによって主観的現実でしか脱出できなかった牢獄から、客観的にも(部分的に)脱出が可能になった、という点にテクノロジーの恩恵を感じます……

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3ヶ月ほどかけてつくっていたVRChat用の自作アバター(完全オリジナルのフルスクラッチでは4作目)が昨日完成しました。わたしは手を動かしながら形状を精緻化していくので、どんな姿で具現化されるかは最後にならないとわからないところもあり、楽しいです。その3ヶ月間は寝ても覚めても作業&思考なので疲弊しますが……

同じ時刻、同じ場所を年間なんども通るわたしだけが知っているのですが、この街には年に2回だけ、歩道の柵のおとす影と点字ブロックの列とが「完全に一致する」時/場所があります。それが春分と秋分なのです。当時ここをつくったひとびとの知恵と祈りを感じずにはいられません……

どのキャラも魅力的なのですが、わたしは贋金づくり作戦で活躍する画家のビオラさんが特に好きです。

昨夜、自分の創作した人外アバターが、購入者によってさらに独自の改変を施された姿で目の前に現れ、会話するという体験をしました。言葉にし難いのですが、端的に素晴らしい体験でした。私が人外アバターを創るのにはそこそこ切実な動機があるのですが、そこから生まれたものを購入・改変するということは、どこかその切実さを共有するところがあるように思えるからかも知れません。

みんな小説が上手すぎるので、自分の文章が下手すぎることに毎日固定ダメージを受ける

副反応で1日12時間寝ていたため今夜は眠れないのを幸いに、VRChatのアバターミュージアム用入稿作業をしていたのですが、魂の入っていないアバターに表情やポーズをつけるのは不思議なほど楽しいなと感じ、いや不思議というか、その理由のおおもとになっているなにかが、わたしの生きるエネルギーになっているんだなと思いました。

Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。