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GYAO!で「パンズ・ラビリンス」を再見したのですが、古典的な童話(神話)や児童文学の型が屋台骨になっている映画なので、朝から「ファンタジーとはなにか」に想いを馳せまくってます。

同じく型が明確な宮崎アニメ(特にトトロや千と千尋)と比較しちゃうのも面白くて、いずれの作品もファンタジー世界に接続するきっかけは、引っ越しや親の不在みたいな「子供のささいな不安」が廃屋・廃墟に象徴される「失われた歴史」に触れることなんですね。一見これらのファンタジー世界は、現実の影響下に生まれた空想(逃避)のようにも思えるのですが、実は作中で語られる皮層的な現実(戦争とか新しい生活とか)とはまったく関係のない秩序がその世界にはあって、「この現実とはかけはなれた異世界が存在する」という確信を支えてくれている。なぜそんなことができるかというと、その世界が「失われた(ように見える)歴史」からやってくるからで、言い換えれば人間が何千年も昔からなぜか知っている「向こう側の世界」という膨大な蓄積から比べれば、「この現実」なんてちっぽけで取るに足りないものだということが分かるからなんだと思います。

「パンズ・ラビリンス」はいわゆるハッピーエンドとは呼べないのでしょうが、でもこの物語が私たちのもとに届いているということは事実であり、このことを深く考えたとき、そこにはとてつもない魔法、皮層的な現実などにはとうてい太刀打ちできない強烈な力を感じます。このようなことを成し遂げる「失われた歴史」はいまも伏流のように私たちの住む現実の地下を実際に流れていて、その流れを掘り起こして、いまここにある現実とファンタジー世界とを接続することが、ファンタジーを描くという意味なんだと思います。

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