それから"笑い"。
自分もライブをやっていて強く感じるのだけど、笑いを起こすとお客さんの壁が一気に崩れるんだ。それまでは「どんなバンド?」と少し距離を置いて様子見しているようなお客さんでも、MCで少し笑いをとると一気に距離が縮まる。壁が壊れてお客さんが近づいてくれる。その後はラクだ。場がなごみ、親近感を持ってくれるから、何をやっても盛り上がるようになる。お客さんが一体となる。だからボーカルはMCの技術を磨く。
"笑い"は人の警戒心を解き、気持ちを前向きに押してくれる。そこにいる人たちを結びつけてくれる。だから人は"笑い"を好む。そして笑わせてくれた人にカリスマを見るようなる。その人の言葉に笑った時点で、笑う人は笑わせた人のシンパとなる。笑いをくれる人を嫌う人間はいない。
自民や維新がよしもとを重用する理由はそれだろう。"笑い"の研究に人生を捧げてきた人たちだから。笑うことには知識も専門性も信念も何もいらない。面白ければ笑えばいい。誰でもできる。専門家を、研究者を、苦しむ人を、国を憂い怒る人を、笑ってしまえばそれで済む。「笑いごと」になるから。よしもとの芸人たちはそれを操るプロだ。
自分の界隈で時々聞く話。「左翼さんたちの言うことはわかる。正しいこともそれが大切なこともわかる。だけどそれを直接大きな声で訴えられると押し付けられているようで疲れてしまう。決定的にセンスがない」
これは恐らくデモの際のシュプレヒコールや替え歌(?)を指しているんだろう。Twitterでも何度も見たが、政権批判の替え歌を拡散していたり、憲法にメロディーをつけたり、「これを聞きましょう」と言ってしまったり。
難しいんだよね。「いいものは、大切なものは、みんな聞くに決まってる」という純粋な思いがある。が、人間はそうとも限らない。お説教はみんな嫌がるものだ。どんなに素晴らしい内容でも。
「いいものは売れない」なんて言葉もあるくらいだ。
芸能人は直接伝えない。受け手に投げる。少しだけ匂わせて「後はあなた次第」と空中に投げてしまう。と、受け取った方はそこに自分の思想を乗せる。方向は最初の匂わせでつけてある。受け手はその延長線上に思想を乗せる。が、"自分の思い"がそこにあるから、それは"自分の思想"という強い信念に変わる。右派に取り込まれた芸能人がやるのはそれだ。かなり手強い。
ネットワークビジネスのセミナーとかでもそうなんだけど、スピーチが上手い人は笑いを効果的に取り入れるのね。喋りがスムーズなだけじゃなくて、笑いで緊張をほぐす。で、聴衆はそれだけで信用してもいいかなって気になっちゃう。本質を巧みに隠して、「この人の言ってることは間違ってないな」っていう気にさせる。
人の「人を見る目」なんてその程度のものでしかないから、他人の「この人は信用できる」なんて言葉は全く信用できないんだけど、だからこそ本音を隠したい政治家もこぞって利用する。
「今喋ってるこいつはどういう目的で話しているのか」ということを冷静に見極めないといけないんだけどね、それには知識と訓練が必要だったりする。
だから芸人を使ってマイノリティを嘲笑しつつナショナリズムを煽り自分たちの権力と利権を保持するような政治家たちはえげつないことしやがるなって感じるよ。
これは必読
・「被害を認識できないと加害者になってしまう」という連鎖
・「被害を認識すること」と、「被害者意識を持つこと」は全く違う
・強さとは「助けを求められること」