新しいものを表示

え、こわ。
そのうちこのページ消されたりして?
リアル「1984年」か?

官房長官の関東大震災に関する発言。 

jiji.com/jc/article?k=20230830

「松野博一官房長官は30日の記者会見で、関東大震災の直後に起きた朝鮮人虐殺について「調査した限り、政府内で事実関係を把握できる記録が見当たらないところだ」と述べた。」

これどういう文脈で言ったのかな。

内閣府の防災情報のページに資料があるけど、これは政府の記録じゃないっていうこと?

bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyo

(第4章第2節)
「既に見てきたように、関東大震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。」

3ヶ月以上やってなかった色塗りを、今日ほんのちょっとやれたので、わたしえらーいえらーい!:ablobcatfloofpat:をしている(主線入れもそのくらいやってなかった)。

ぴよ さんがブースト
ぴよ さんがブースト

版権全然描かないんだけどメギドの絵描いてたやつ発掘したからはっちゃお
メギド72 ウヴァル シャックス カスピエル アリトン
#二次創作

この件、出版社や原作の権利管理会社側が、漫画化することの創造性を低く見てるんだなと思って悲しくなった。

漫画作品の魅力はストーリーだけじゃなく、コマ割り、構図、効果、台詞の分け方とか全部関わって生まれるから、作画担当と言っても、舞台の監督や映画のディレクターみたいなものだと思う。
それを軽んじないで欲しい。

※なおこの作品はちょっと読んだことがあり、かなり過激な表現(残虐行為の描写)を含むけど、キャラの描写が巧みで先へ先へと読ませる力が凄かった記憶。

ぴよ さんがブースト

NHKに、昨日の報道ジャーナルの件でご意見出した。

視野の狭い社会になったら、好きなものを思いっきり楽しむのも難しくなる。
メディアはそのことに大きく関係すると思うから。

ぴよ さんがブースト

うちいまTVないから、情報源はネットと、気分変えたいときに聴くラジオくらいなのよね。

ダゴンちゃんのリジェネがパステルカラーでめちゃくちゃ可愛いし、ガギゾンの水着がまったく露出してなくて「虚弱だから日焼けできないのかな」とか言われてるの笑うし、専用霊宝来たのワンちゃんコンビで微笑ましいし、メイン更新は楽しみだしで、今日のアジトTVも最高だったですよホント😌

うー、せっかくアジトTVですごく楽しい気分になってたのに……。

処理水の話、NHKの報道 

書くかどうか迷ったんだけど、今のNHKおかしいかもしれない。

ラジオのNHKジャーナルを聞いてたら、処理水問題での嫌がらせ電話のニュースに関して中国の姿勢を批判し、トリチウムは他の原発も出している、冷静な対応をという話をしていた。

そして視聴者から送られたコメントとして中国の印象が悪くなった等を紹介し、こうして国民同士が相手のことを嫌になってくると「戦争の足音が近づいてくる」とまで言った。

これだけ聞いていると、悪いのは中国で向こうが態度を改めてくれれば万事解決であるかのよう。
ちょっと一方的すぎる。

嫌がらせ電話はもちろんいけないし、中国の放出批判には政治的意図があって、国民の不満のガス抜きにしているのではないか、というのも分かる。
でもじゃあ処理水放出や日本政府や東電の対応には何も問題がないのかといえば、世界的な批判もあるし、国内から不安の声も上がってきている以上、問題があるのは明らか。

私が小さい頃、家ではTVはNHKしかつけかった。これは極端だろうけど、NHKを信頼している家はとても多いと思う。
それだけに、多角的な視点からの報道が必要だろう。

中国側だけが悪くて、そして「そのせいで」戦争になるかも……なんて、不気味な誘導はしないで欲しい。

私は思考の速度で一気に書くと訳の分からないことになるので(思考が飛び石みたいにポンポン飛ぶ)、まず思考のままをローカルの日記帳に書きまくり、それを少し整えたものをブログやSNSに書くかなあ。

ぴよ さんがブースト

ブログ書くの苦手で、むかしはなんで苦手なんだろうなって思っていたんだけど、Mastodon使い始めてマイクロブログを本気でやり出して、だいぶその正体が分かった感じがする。

マイクロブログは、思考の速度で一度に書き切れて、リリースできるのだ。

いま伝えたいことを、いま伝えられる言葉で書く。書いたらタイムラインに向けて放ち、次のことを考える。

ブログを書こうとするとき私は雑念が多く、体裁を整えようとか、完璧な内容にしたいという欲求がある。完成させて手放し、いつまでもそのエントリーについて考え続けるのをやめて、読み手に任せるべきなのだが、これがなかなかできない。書き出しからそういうことを考えるので、まず書き出せない。

ブログとマイクロブログ、似ているようで、全然似ていない。

ぴよ さんがブースト

いま読んでる本でちょうど紛争やテロの話が出てきていたので、余計におっと思って聞いた。
こういう、共時性?(違うか?)、最近多い。

NHK東京ラジオ14時台の「ごごカフェ」で、テロ・紛争解決スペシャリストの永井陽右さん(NPO法人アクセプトインターナショナル代表理事)の話を聞いた。

テロ組織の一人ひとりの、自発的な離脱と投降と社会復帰を支援している。テロ組織にいた人を自組織に迎え入れたりも。憎しみの連鎖の中にいた当事者の持つ可能性を大切にしている。

ソマリアのギャング組織の若者たちと、一緒に問題解決をしていく仲間として、ギャング組織の解散まで共に歩んだ経験を持つ。

凄い若者がいるなあと。
自分にもできることを考えていきたい。

accept-int.org/

asahi.com/and/article/20211015

nhk.jp/p/gogocafe/rs/5N75WM9R4

「十次と亞一」のこと 

私の感じたことをできるだけそのまま書くと、私はこのお話、優しくて怖くてかなしくて、でもやはりとても優しいお話だと思った。

周りの「多くの」人と、ものの見え方や感じ方が違うことの苦しみと軋轢と、その昇華が描かれている、と私は感じた。

亞一さんの「違い」は、彼の「才能」だと思う。(それを引き出す人がいてこそだけれど、それはどんな才能でもそう)

いや、こんなありきたりの言葉では全然表現できない、個々人の持つ内面世界の深さと豊かさと、怖さ。
それらが独特な表現方法で見事に描き出されていると、感じた。

十次さんはもちろん、弟さんや花ちゃんといった人々が、「普通」かどうかということで人を切り捨てたりしないから、救われているところはある。現実にはこういう人はもっと少ないかも知れない。

だからこそ、優しいお話だと。

「十次と亞一」、何だかとっても不思議な雰囲気の漫画を読んだ。

大正時代の漫画家と小説家の奇妙な縁のお話。

言葉と絵が織りなす独特な世界に魅せられる。可愛い、暖かい絵柄なのに、ちょっと怖くもあって。

comic.k-manga.jp/title/186392/

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。