相手が自分の気持ちを分かる勢が多いなら、この世の問題の半分くらいはうやむやにできる気がする。

自分の内部状態をある程度詳細に言語化する習慣があると、自分が言語化した情報を伝えたうえで相手が情報内で使われている単語の取り扱いを厳密にやるか上手に近似する、こと以外には自分の内面を相手が真に知ることができないのではという、確信めいた疑問が浮かぶ。

「他人の気持ちを確かに推定でき、他人の気持ちの真の値よりも自分の推定の方が正しい」という観念は、目の当たりにすると愕然とするものがある。

物心ついた頃から人間には他人の気持ちが真に分かることは稀であると思い、学生になってからは共通または類似の体験が他人の気持ちを追体験する必須要素だと考えて生きてきた。けど、最近の結論としては、かなり多くの人が「「自分は他人の気持ちが分かり、他人は自分の気持ちが分かる」それが普通である」という世界観で生きている様な雑感を受けた。

本質とは離れたどうでも良いことを検討する時間を減らしたい。

こんなに無駄なことをする為に時間を使いたくないんですよ。。

もう全部嫌だな。全て捨ててリセットすることにも比較すると良さがある、みたいな状態になりつつある。

自分が忙しい時に限って、周りが大爆発を起こすので、今朝は10分ほど呆けてしまった。ここまでガックリきたのは生まれて初めてかもしれない。

つぼ膏、即効性のある消炎効果があるのか。いいな。

何というか翻訳の問題なのか別の問題なのか分からないけど、結果として送られてくる文言を眺めた私の生産性が全てなくなっているので、本当に困る。

今年は蝉の抜け殻をやたらと見かける。

テレカン、やっと終わった。。

世の中にはコンビニ店員との会話をして、気持ちが伝わった、と感じる人が居るし、気持ちが伝わる接客をしてる店員が居るのは知ってるけど、接客時の内的状態と外的反応が必ずしも一致してるわけではないし、大体不一致なのではと個人的には思うな。。

ゴミ袋8袋分のゴミをまとめた。

部屋の気になっていた領域を何も考えず全部ひっくり返して、ストレスを感じふものを全部捨てていってる。

解けることが分かり解き方が見えきっていて結果の大きさも読めていて利得が月収程度の問題って解く気がゼロよりの有り程度になるのでどこかのパラメタが振り切ってくれてる方がよく、利得か効用が大きいほうが楽しく取り組めるますね。

日々、自分や家族の生活をできれば言語を介して便利にしたい。そういう生き方をしたい。また、自分が解けるか分からないけど解けるかもしれない問題に取り組む生活をしたい。解けることが分かっている問題は人が見つかるなら他の人で良いのではないか。

あー、もう仕事おわり。意図的に酒を飲む。

無い袖は振れない、っていいフレーズ。

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