ツイッター上で築かれてきた公共性というものはある気がするなあ(まあ公共の意味をよく知らないのでアレですが...)

仮に公共性というものがツイッター上にあったとしても、最終的には権力によって一発で退場させられるものでしかなかったっていうことだとおもいます。それはだから、管理者・権力者が善良であるという前提においてのみ成立するようなものでしかなかったというか。
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@tenjuu99 うーーーん、その通りだと思います。自分は、そういう場所で暮らすことを前提にどう妥協したり抵抗していくか、みたいな考えにいきがち、という感じはあります...

住空間や職場だと妥協しまくりで、それはやむを得ないことがたくさんあると思うのですが、SNSは言うほど必要性があるものでもないと思うのですよね。必要性が過剰に宣伝されていて、それが「公共性」みたいな言い方にまでなってしまっているとおもうのですが、やっぱり自分はこれは「無くても済む」ものだと思っているから、公共性があるとも思わないのです。
ツイッターが、というのもあるんですが、「みんなが(多くの人が)」大きなものとして理解してしまったというほうが問題あるなと思っています
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