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100分de名著「偶然性/アイロニー/連帯」3回目

言葉の力が大虐殺をもひきおこす、という話で、伊集院さんが「自分の中にもある気がして怖い」と前置いた後「我々日本人は災害時に泥棒をしないという思いと、我々と、そうじゃない人を絶対交わらないとすると、「そうじゃない人は泥棒するから、先にやっつけるのは正当防衛」ていう、理屈は飛躍してるのに言葉が力をもってきて、恐ろしい」と言っていてぞくっとしました。
ルワンダの大虐殺と同じ事はここで起きている、他人事にするなよ、とぴしりと指摘されたようで。良い番組だと思いました。

また、人権は万能ではなく、「いやあいつらは人じゃない。動物みたいなものだから」と突破されてしまう、というのもなるほど〜と唸った。

伊集院さんの「(自分や他者が)どうしてその言葉を使うのか。知れ、学べ、考えろ、ということかしら」と、朱先生の「哲学はそのお手伝いができますよ。」という声が頭に残りました。4回目も楽しみです。

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親戚のおじさんに、名前ではなく「嫁さん」と呼ばれ物を取りにいかされモヤモヤした…という例で、「呼び方そのもの(言葉狩りのように禁止する)ではなく、呼び方に表れている社会規範やこうあるべき、そのものについて丁寧に話し合うべき〜」(この場合、嫁さん≒家の女、家に仕える人という規範)と朱先生が言っていたのもおもしろかったです。

「ローティは、言葉は我々が自由に使うものではなく、つかっているうちにどこか別のところへ運ばれてっちゃうと考えている」というのも、おもしろかったです。
Twitterの言い回しを使う時、自分の中でごく小さな違和感というか、インターネットの軽い人を装っているな…という感じる時があったのを思い出します。ミームを使うことで、おどけながら借り物の言葉で自分自身を隠していたのかもなあ。

私が何気なく使う言葉にも、歴史があって、もしかしたら誰かにとって好ましくない歴史的背景のある言葉かもしれない…。なかなかそういう話ってしないので、してみたいな。

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