→100分de名著ローティの「偶然性アイロニー連帯」
もう一回改めて見て、まさにこのSNSでの分断と、他者への不寛容の話だとぞくっとするほどでした。
朱先生の解説も、セクシーなイラストが駅にあるのはいかがなものかの話や、政治家の不適切発言の話をあげていて、SNSを見ている人、という感じがします。
オフィシャルな場での言葉と、プライベートな場での言葉。私はややもするとオフィシャルでの言葉を「建前」、プライベートでの発言を「本音」として、「建前≒嘘」「本音≒本当」とプライベートでの言葉こそ、その人の本質の言葉だと思ってしまうんですが、ローティはその2つは優劣なく同居するものだと言っていているそうです。
セクシーなイラストが駅にある話だと、「本音」こそ人の本質と思っていると極端なところでは「セクシーなイラストを好ましいと思う心を矯正しなければ」というところまで行き着きそうですが、ローティの言うように「本音」と「建前」は同等で不可分とするなら、まず駅は公共空間か私的空間かという話をして、次にその空間に適した言葉であるか吟味するべきだ、ということらしいです。
なるほど…確かに、心が2つある状態を肯定してくれる哲学者がいてくれるのは心強いです。次回も楽しみです。