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差別的な投稿を通報する時に悩むこと 

差別的な投稿の通報をするときに、自分の中に、他者の間違いを指摘する喜びが動いてしまうことがあって、違うよな…と迷うことがあります。かといってその投稿はそこにあり続ける限り地縛霊のように人を傷つけつづけるので、その投稿はなくなってもらわないといけないんですが…

他者を糾弾する、批判する時に感じる昏い喜びみたいなものが、だんだん大きくなるんじゃないか…そんなことを悩んだりもします。
安易に「間違っている人」を決めつけて安心してしまう心の状態の時には、活動しないのが良い気もしますね

「罪を憎んで人を憎まず」
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」本当に難しいです。

差別的な投稿を通報する時に悩むこと 

→自分の中に長期的な目的のイメージが弱いから短期的な、目の前の投稿者のことで「本当にこれでいいのかな…」という迷いが生まれるのかな…という気もします。
あくまで私の場合ですが

「私は例えひとりになっても〇〇な世の中を目指すんだ」というビジョンと胆力が弱いと、短期的なゴールを求めて眼の前の人(差別的な投稿をした人)がすぐに変わることを望んだり、眼の前の人を打ちのめすことを望んでしまうのかもしれないですね。
差別的な投稿、デマの通報や訂正は、あくまで長期的なゴールへの過程。私のは本番前の段階で一喜一憂してしまっているのかもしれないです。

私は時々迷ったり少し立ち止まったりするけど、同じ方角目指して違う鉄骨を渡っている人がいると信じてぼちぼちやっていこうと思いました。(すぐに鉄骨渡りの話する)

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