今日は、Mark Sakamotoの本、Forgivenessが原作の演劇を見に行きました。
彼の父方の祖父母は日系カナダ人で、戦時中日系人収容所に送られそうになり、過酷な農作業に耐えて暮らした人々。そして母方の祖父は戦時中香港で日本軍の捕虜にされ、収容所で毎日日本人に虐待されながら暮らした人。
そんな人たちの息子と娘が恋を落ちて結婚することになり、日系人はカナダ人を、そしてカナダ人は日本人を許せるのか?というのがテーマなんだけど。

「子どもの世代に自分たちの憎しみを受け継いでほしいわけではない」という気持ちはわかるけど、でもやっぱり許せるか許せないかって、個々人の気持ちの問題でもあるなと思う。
そして60年代のアルバータで、白人の女性がアジア人の男性と結婚するって結構大変だっただろうなあ、とも思う。

テーマは映画『アンブロークン』に少し似ているなと思った。そして『クワイ河に虹をかけた男』に出てきた、日本人を今でも酷く憎んでいる元捕虜のイギリス人の表情も思い出した。

この泰緬鉄道についてもそうだけど、日本人の戦時中の戦争犯罪を日本は教育で全然教えていないこと、日本をある程度知ってる外国人は皆わかってるし、絶対にいつかしっぺ返しが来ると思ってる。

私がカナダで好きなのは、こういうテーマの演劇にたくさんのお客さんが来てほぼ満席になっていること。先住民の件もだけど、歴史に向き合って反省しようとする人たちがマジョリティであること。そうではない人に対して批判が集まるところ。ある日系人強制収容所の跡地には訪問者も多くなってきて、寄付も集まっているということ。

そして「賠償をすればそれで終わりではない、これを後世に伝えていく義務がある」というのが世論のコンセンサスであること。

日本では変人扱いされる自分の人権に対する考え方がカナダではマイノリティではないことが、心の安寧につながっている。

嫌韓の内容を本屋や吊り広告で見ないことがない国で税金をなるべく払いたくない理由。

夫の妹がウィニペグに住んでいるので遊びに行った時に連れて行ってもらったのがカナダ人権博物館なんだけど、さまざまな国の人権侵害の歴史を展示するこういう博物館って、他の国にはないのではないか?と思った。

そして、遊びに来た兄夫婦をそこに連れて行こうと考える夫の妹、そして「私も行ったよ!すごくいい博物館だよね」と言ってくる夫のもう一人の妹の発言を聞いて、この国では人権について学ぶことがいいことなんだなあ、と、驚きと同時に安堵したのを思い出す。

だから夫とは何でも話せるからすごく居心地がいいと感じるんだろう。血のつながった家族とはしようとは思わない話がたくさんできるし、今日の演劇もだけど、共有したい体験がたくさんある。

そして...この人権博物館について検索したら「日本の名誉を護る在カナダ邦人の会」という団体を見つけてしまい、気分がズーンと沈んでいる…
「なでしこ」という言葉が嫌いになりそうである。

いやただの花の名前だし、むしろ撫子柄の着物とか撫子のかんざしとか好きで持ってるんだけどさ…花には何の罪もないんだけどさ…はあ…

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