引用でしか語れないことこそを恥だと思っているが、今はこれしかできないので

語り合うというコミュニケーションではなく、消費行為のみの一方通行なら、それっきりだろう
私たちのようなものはおそらく「コミュニケーション」を欲している。だが、多くは「消費」のターンで〈完了〉をしている

それ(戦争体験)が、作品──「フィクション」になって「消費される」瞬間、それが「歴史」になる瞬間だと思っている
昨秋からそのなだらかなはじまりが、いよいよ始まったのだとずっと感じている
おおよそそのとおりなのだと思う

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作品を通じて、あの戦争を、体験を、語り合いたい
直に語り合うという行為だけでなく、たとえば作品と読者というかたちでも〈コミュニケーション〉をしたい
現実はひじょうに難しい
エンターテイメントというものの難しさがそこにある

Xで見た投稿で、なんかすごい悔しくなったんだと思う
戦争に対する受容や消費の観点において、大衆って……でまだ諦めたくない それで話を投げたくない
あがきたい、ずっと、作品を通した対話をもとめて足掻いていきたい

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