今読んでる本の以下の引用に頷きながらさみしくもなった

> 時間の距離を考えれば、いまやアジア太平洋戦争に無関心なのは当たり前だ。ウクライナやガザの戦争を目の当たりにしながら、満州事変から数えれば九〇年以上も昔のセピア色の戦争を「継承しなければならない」という課題設定は、二一世紀生まれの若者から骨董趣味のように思われていても不思議ではないだろう。
> もどかしさがある。時の流れに、言葉が追いついていない。”

(『戦争のかけらを集めて』プロローグ あの戦争は「歴史」になったとしても/清水亮)

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>骨董趣味のように思われていても不思議ではないだろう。
という、戦争と継承への無関心さという現実をよくあらわしたことばが刺さる

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