『句集 きのこ雲』「第一部」より、特に残ったもの【残酷な描写あり】
原爆へ最敬礼の型で死に
(広島 大山露斗)
傷口の蛆は原爆など知らず
その下の叫びは知らぬきのこ雲
(広島 定本広文)
泣き叫ぶ死の寸前に神はなく
焼け出され野宿の傷へ星は冴え
(広島 末本晴樹)
なすすべもなく広島が燃えてゆく
血と膿の中で蛆だけ生きている
死の街に残り戦はまだ続き
死ぬ方がましと火傷の娘のうめき
(防府 竹永あきら)
原爆と知らずパラシュートへ見とれ
(広島 田村秀宗)
訓練へ耳目覆ったままで逝き
(広島 藤本英雄)
はいて出た白靴で知る子の死体
(門司 丸山貞子)
原爆の死臭に馴れて米をとぎ
屍と寝た夜の星が目に残り
(広島 御戸凡平)
白骨に表情なきをましとする
美しかったB29にしてやられ
(広島 森脇幽香里)
背を焼かれまだしあわせとはげまされ
(広島 吉村みすず)
兵隊さあん痛いよ水をつかあさい
(徳山 渡辺伊津志)
『句集 きのこ雲』「第三部」より、特に残ったもの
もう忘れたい原爆を忘れられず
(広島 榎木聡夢)
原ばくのまぐろばかりの大漁節
にんげんがまぐろになってころがされ
(東京 笠置正邦)
実験も自国は害がないように
(広島 北本照子)
原子雲ニュースで見てるうちは無事
(防府 竹永あきら)
原爆を作って管理には困り
(ポートランド 新岡譲次)
“(原爆禁止運動について・前略)周囲の何かに遠慮した冷淡さに、ともすれば遠慮勝ちであり、その訴えも非常に弱いものでありました。しかも考えてみればそれは原爆の恐ろしさを本当に知らない多くの人達のために、大変無責任な、不人情なことだと思うのであります。私達はやはり、いかに制約されようとも、あの原爆の恐ろしい現実を、なまなましさを、私達にそれぞれ出来る方法で一人でも多くの人に訴え、解って貰わなければなりません。”
(句集きのこ雲をおくる言葉 森脇幽香里 より)