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各ノードのIDもli要素内には表示していない。それぞれ全部IDがあるけど、HTMLを確認しても出てこない状態。別に隠したかったわけではないけど、表示しておかなくていいやと。

世の中のツールのHTMLをデベロッパーツールで見た時に、これ各々をどう区別して扱っているんだろうと思うことが偶にあったけど、Custom Elementsでやればスクリプト上では普通に区別されるわけだ。

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そういえば、昨日投稿した記事に貼ったサンプルのコード、ノードをインスタンスとして作っていて、持つべきデータを内部に保持することにしてHTML上には記述しないようにした。前なら「data-○○」属性をあれこれくっつけていたけど、そういうふうに外から見える形じゃなくした。HTMLではかなりスッキリした状態になっている。

svgの勉強のためにテストできる場を作った。textareaにsvgを書いたら表示領域のinnerHTMLを変更するというだけのものだけど、とても便利。

なるほど。「Twitterしかやったことない」という場合にどういう心境になるのか想像できないなあ。

でも多分、端末が壊れたりすると今度はきっと「環境の再現が大変だからインターネットにさえ繋がれば作業もすぐ再開できるクラウド型webアプリに拠点を起きたい」とか言い出す。

間を取って考えてみると、クラウドストレージにファイルとそのファイルを扱うアプリケーションを一緒に置いておければ話が早そう。HTMLに書いた自作ツールというのはその点どこでも起動できる。(が、機能に限界がある。)

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完全なるオフラインで作業するという時間ができた。そうなってみるとインターネットにアクセスできなくなった場合のリスクが色々明らかになる。「バックアップをダウンロードできる」では足りなくて、全てローカルファイルとして手元に起きたい欲が湧いてくる。

自分がした何かが未来の自分にとって良かったと思えることが少な過ぎる。

でもTwitterとMastodonでテンション自体変わってしまっているのはどうしようか。最初は一応「使い分け」が念頭にあったけど、Twitterをや〜めたってするならこのままの感じは今ひとつかも。

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「Twitterにだけポストする」ということはもうないようにしよう。

「日陰でひとり遊び」がまさに「つぶやく」であったはずだけど、「言論プラットフォーム」「情報のインフラ」なんてものになってしまっては「日陰でひとり遊び」のイメージには無理が出てくる。発言は他者から監視・評価されている。

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つまり、「まだ理解してもらう余地と見込みがある相手」を具体的に想定している場合のみエンジンがかかるということで、そういう相手と常に交流を持たないことには、「どうせ」「別に」の結論が先に出てしまうので、日陰でひとり遊びする生活になってしまう。

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「自分という存在が理解されていない気がするから理解するに十分なだけの情報を提供すべく語る」というのが私の中では割と大きなエネルギーを生むけれど、「既に理解された」「どうせ理解されそうにない」「別に理解とかされなくていいや」のいずれかの結論によってエネルギーはスッと消える。

表現行為というのは他人というものが存在する限り苦痛を免れることはない。
少しでも苦痛を和らげる工夫をするというのは、表現したい、表現せずにはいられないというエネルギーに支えられているものであり、そのエネルギーが乏しくなれば「黙った方が早い」。

なんとなく、「つぶやく」ということ自体に疲れてきたかもしれない。
自分にとって「つぶやく」ということは常に「ブレーキを踏みながら行うこと」であったし、基本的に自分を嫌いになる行為だから、いい加減疲れ切ってしまった気がする。

一方プログラミングについて喜びを書くのはとても牧歌的で、無害だなと思う。他人にとっても、自分にとっても。無害だし価値もない。

オブジェクト(連想配列)への理解が深まった。あと新しいことをたくさん習得したと思う。

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す、すごいレベルアップした(たぶん) ツール自体はレベルアップしてないけど私がレベルアップした。

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リファクタリングできた〜(たぶん)

最近アナログノートに書いている。ずっと「紙」には何かしら書いていたけど、ノートの形式は割と久しぶり。

SubstackにChatという機能があったな、そういえば。

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