そういえば、3秒前にこちらが言ったことを相手が自分で思いついたように言うみたいなことが結構よくあるんだけど(共感を伝えるためのオウム返しではない)、外から得た情報と自分が生み出した情報に多分区別がないんだろうなあ。
Next.jsを勉強しようと思うんだけど学習コストはいかほどか…。Reactの習得が微妙にうまくいってないんですよね…。でもエディタにしようとしなければ大丈夫な気もする。
一方テンション上がらないのが正規表現。記述が合っていないと困るが、合っていても大して嬉しくないという。わーい、ってならない。
ちょっと必要があって62進数までの任意の○進数に変換する関数を作った。頭を使った。
少し前に見かけたブログ記事のコードの例がいまいちな感じだったんだけど、嫌味とかではなく、いまいちなものが普通に書かれていてもいいよねと思った。
完全無欠で理想的なものしか発信してはいけない、そうでなければいちいちダメ出しされる、となると出る情報も出なくなる。
Twitterやめるかなあ。インターネット上で生きてるけどTwitterはやっていない、という人は普通にいるわけで。
Noratetsu Lab: NTA-DIY:糸口①~結局何をどうしたら動くのさ~ https://noratetsu.blogspot.com/2023/04/NTA-DIY-c-1.html
Webブラウザで手作りアプリケーションを動かすために必要なことをまとめていこうというシリーズを始めた。
Goさんにいただいたコメントによって、短文投稿という形式とアウトライナーの関係性について自分の中にちょっと解釈が生まれた感じがする。
もしやツイ廃(Twitterに居続けて無限にツイートできる人)はアウトライナーに馴染むのにやや時間がかかるのではないか。(サンプルが数例しかないのでわからないけど)
良さを発見するまでにちょっとタイムラグがあるというか。「ああ、なるほどね」になるまでにちょっとある。
ツイートとアウトライナーの項目は粒度として似ているけど違うところがあり、その「似ているけど違う」感を的確に掴むのは結構難しい気がする。
思考の最小単位がツイートサイズなのは多分アウトライナー的には大き過ぎるんだけど、頭の中に当たり前にツイートサイズでブロックを作ってしまうので、そこからアウトライナー的なサイズ感になっていくのに慣れがいるというか。
自己の言語化/知的生産についての知的生産/デジタルノートツールの自作/JavaScript