自己の言語化/知的生産についての知的生産/デジタルノートツールの自作/JavaScript
炊飯器があればご飯は炊けるけど、それだけではご飯のことも「ご飯を炊く」ということもわからない。炊けりゃいいわけではない。という感じ。でもご飯が炊かれる状態を科学的に分析とかいうことをしたいわけではない。そこまで解体したいのではない。
炊飯器でしかご飯を炊けなかったのが鍋で自由に炊けるようになり、その上でやっぱり炊飯器を使うということはあり得るし、私は「鍋でも飯盒でも炊けて、且つ炊飯器も普通に使う」状態になりたいと感じている。
まあそもそも「オブジェクトとは何か」というのをわかるのが容易でない感じがあるので現時点で「これはこうだったのか」と感じることが的を射ているとは到底思えないわけですが、それでも核心から超遠い場所にいたのが一歩ずつ近づいてはいるはず。それが喜ばしい。
後から追加された便利な書き方というのは、それ以前それが何だったのかをわかっているかいないかが重要ですよね。コンストラクターってなんだろうと思いながら長い間「そういうもん」としてやっていた。クラスを書く時は最初にそう書くもの、みたいな。その状態でもプログラムを動かすのに支障はないけど、必然性を欠いたコードになってしまっていただろうと思う。
というか、「クラスとはなんなのか」ということに理解が追いついてきた感じがします。
関数をnewで呼ぶという普通の(?)使い方を理解しない状態で、インスタンスと言えばクラスという感じで咀嚼してしまったので、「なるほど、関数はそう使えば良いのか」と今更思っているところです。
段階としてはとっっっっっくにわかっているはずのものな気がする。けど、今だからちゃんと使えそうな気もする。
そういえば、実はnew演算子のことがよくわかっていないのだった。理解できていないというより学習を試みていない。
直った!
あれ? Scrapboxが繋がらないな…。
そういえば十分な年齢になっても使う敬語が丁寧語のみの人いるけど、尊敬語や謙譲語を使う発想が生まれることはないということなのだろうか…。
主語を大きくしてまとめて悪しざまに語ってやりたい的なことは多分あんまりないけど、そういう解釈の領域の嫌悪感ではなく、血圧が変動するとか具合が悪くなるとかそういう生理的変化が起こるのを感じるのでそれを抑えたいという感じ。
坊主が憎い時に袈裟に対して生理的嫌悪感を生じる度合いが強いなと感じるので何か対策を講じたいところ。究極的には己を含めて人類が無理という心境にある。
ChatGPT、ちゃんと理解してもらえるように丁寧に伝えようとして逆に理解されないことがある。
逆に今までのコーディングは何だったんだよという感があるけど成長前の様子を後から馬鹿にしてもしょうがない!
Reactを知るために開いていたブラウザのタブも全部閉じてスッキリ。Reactを使った方がいいんだろうなあと感じていた根拠の部分を解決したのでしばらくはいいや。
あとprototypeもわかった。前はカスタム要素でやっていたことをこれで簡単に定義できるようになった。
すごいレベルアップを感じて大変テンションが上っています。
Reactの思想を生かして、htmlファイルはルートになる要素だけ書いて基本的に全部JavaScriptで構築することにした。ならjsxで書いたほうが、と思ったけど、従来のDOM操作のやり方を継続した方が速いので結局jsxはやめた。考え方を変えないといけない部分が多すぎて、自分のレベルではまだちょっと早いなという感じ。Reactはある程度は動かせたけどまだ自由にはならない。
classに頼らずに関数で書けるようになったのは、「ピーラーを使わずに包丁で皮をむける」的な成長を感じる。ちゃんとわかった、という感じがする。「とりあえずclassをこう作れば動くらしい」からの脱却。
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