そういえば、3秒前にこちらが言ったことを相手が自分で思いついたように言うみたいなことが結構よくあるんだけど(共感を伝えるためのオウム返しではない)、外から得た情報と自分が生み出した情報に多分区別がないんだろうなあ。

完璧に区別するのは難しいことだと思うので誰しもある程度は混ざると思うんだけど、「そもそも区別がない」というのがある。

あと自身の何かの経験について、誰が同席していたかの情報が全くなかったりする。すると同席していたかのように知らん話を平気でしたり、逆に同席していたのに初めての話として語ったりする。
同席していたかどうかの確認はないし、こちらがその時いたとかいなかったとか伝えてもどうでも良いらしい。その指摘に対して何も響かない感じで話が続く。「相手も知っているものとして話したい」か、「相手は知らないものとして話したい」か、を自分で決めてしゃべっている。

人が同席していたかどうかというのは、その出来事が起きている間に記憶しなければ思い出すことは不可能なので、その出来事の間に他人に関心を持っていないということだろう。一緒にいるのが誰でもよく、誰かがいようがいまいがどうでもいいのだ。

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どうでもよいというのは「性格的に他人のことは蔑ろにするタイプ」という話ではなく、その人の認識の形として、「自分以外の情報」をその都度格納しておく箱がなく、格納されないのでその情報を活用することがないということ。

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