私は万事に於いて自分の中にビフォーアフターがある。人生の折れ線グラフに明確な「折れ」が生じたポイントがあるからだ。その「折れ」によって全ての角度が変わったので、昔はこうで今はこうという比較が生まれる。
私にとっては「折れ」の地点の存在は当たり前すぎることなので意識していなかったけど、「折れ」があるというのは万人共通のことではないわけだよね。
私自身、「折れ」がない期間の中での比較は曖昧でうまくできない。

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この「折れ」はステータスとかキャリアとかではなく人格的な転換なので、全ての角度が変わるということになる。

· · SubwayTooter · 1 · 0 · 0

「折れ」が生じたことによって、折れの前の状態の言語化が可能になっている。そのことによって、自己を対象として言語化する能力みたいなものを獲得したような気がする。
折れ以前の自己は既に主観からある程度離れているので、自己の言語化が合っていない時にいやこれ合ってないなと判断が可能になっているところがある。一般的に言って「今の自分」についての言語化は誤る可能性が結構高い。

自分について「○○だとは思いたくない」みたいな要素があるとその分だけ歪む。「折れ」の前の自分はもう徹底的に腐して構わないので、歪みは少なくなると思う。しかし逆に露悪趣味に走ると駄目な自分自慢みたいになってそれもそれで歪む。ただ淡々と、過去の自分はこうだったと考えていく。

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