誰か何かたちがやってる実践(これらとアイデンティティとが不可分な方も含めて)に対して「それは単なる娯楽でしかない」「そんなの偽物だ」「お前は学んでない」「侮辱してる」「搾取だ」と他者が勝手に決めつけるのは何からきている?何をもって勝手にそうジャッジできると思っているの。実践の中で個々それぞれにどんな学びや葛藤や批判を受けてのアップデートが有った/無かったかなんて外側にいる他者にどう分かりどう判断できるというの。なぜそこに個々がもつ信仰やその投影や内省が無いと言えるの。なぜそこに込められた個々の大切な実践を無いものと決めつけられるの。個々のあり方を組織や体系や権威を持つ者が規定できてはいけない。組織や体系や権威の権力を回復させる/持たせるために「差別やめて」と言ってるんじゃない。
怒ってる。それは私のあり方を否定している。傷ついてる。デマやめて。差別やめて。witchたちを排除した過去を繰り返さないで。