今日の🍝放送は縄文土器焼いてみるって!!
なんでやねん!!
とわくわくが止まらない中、縄文という時代にはわたくしもそれなりに熱いロマンを持っておりますのでここで好き勝手語りたいと思います!(こういう🍝にまつわる長文にタグをつけちゃろうと思い、勝手に作りました!まつわる…?まつわってるか?と疑問は浮かびますがまあいいでしょう!)
太古の昔である学生時代、「縄文時代は文字がなかったようです」ということをある日先生はおっしゃいました。
そして先生は熱く語られるのです。
文字がなかった→文明が未発達だった
ではなく、
文字がなかったからこそ→そこには今と違った超文明があったのではないか、と…!
なにそれ〜〜〜〜〜〜〜🤩
つまり!?
人と人の伝達手段が「文字」ではなかった、では何で伝達していたかというと、より自然体に近かっただろう生命体の能力として、第六感的なもの、テレパシー的なものでコミュニケーションしていたのではないかというのです…!
うおおおおおお〜〜〜〜〜〜🤩
つまりつまり??
「文字」ができていった過程で、人と人の伝達手段は「目で見えるもの」に成り変わっていき、それまで使っていた「目で見えない」伝達手段能力は失われていったと………
うおおおおお面白すぎる考察〜〜〜〜〜〜🤩
続く