Twitterの「アルゴリズム調整」「トレンド調整」の件、ショッキングはショッキングなのだけれど、やっぱりね感もあり、問題は今後これがますます恣意的な方向にいく(それも自分には望ましくない方向に)可能性が高いとしか思えないこと。元来「神の目線」(完全平等)などあり得ないのだから、人間がAIとグルになっているものに無謬性はないのだけれどね。我らはそれを盲信しそれに基づいて日々のオピニオンを作って行ってしまう生き物になってしまっている。危うさが極端に顕在化したシステムを回避することくらいしか対抗手段はないのだけれど。
今中国で起きている「内乱」とも通じる話。
長らく相互でやりとりしていた人が「いや防衛費は必要だろ、新婦人はこういうところ(女性問題のニュースを提示)に噛みつけよ」ゆーてて、なんていうか、一般的な感覚って「そう」なんだよな。子どもの貯金箱持って行って「隣近所の泥棒から家族を守るためだ!」と武装を始めても「あたまのおかしい親父」ではなく「近ごろ物騒だしねえ」ってなる。
刀剣乱舞、世界設定担当の「大東亜共栄圏」等諸々が許せなかったのと、当時ファンの触らぬ神に祟りなしとばかりの反応が耐え難くて辞めて、そのあとたっぷり5、6年は苦しむことになった(今も完治ではない)。だから当時を知りながらも、批判しつつ愛好し続ける人たちのことは分かるけど分かりたくない。信用はしていない。期待もしすぎるものではない。
最近たまたま、お笑い文化の差別性を知っているけど捨てられない苦しみについての呟きを複数見たけど、同じ苦しみを共有できる人がいていいなとは思う。
私にとって刀剣乱舞のことは作品単体以上にオタク文化やファンダムの信頼全般にわたってひっくり返された大事件だったもんな。
愛着を振り切って投げ捨ててもずっと傷が残っている。それを共有できる関係が私にもあったらよかったのにな。いやあ、下手に慰め合うまいと独りを選んだ結果か。
捨てた人と、捨てれなかった人の間に対立がないよう、せめて祈る。それは望んでいない。
反差別等について終わりなき勉強中。トランス差別に反対します。フォローはしない方針。21年4月から肉・魚やめた。乳・卵も極力避けてる。オタ話もするよ。