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オバケにもオバケとしての「存在」に美が隠されている理論~・・。

もうすぐオバケの季節だけど、オバケもシンプルに怖いだけの存在かというと微妙に謎の魅惑の部分もあったりするじゃない。ワイだけかな・・。

なぞの芸術論になってしまった。

醜いものをそのままバーンと打ち出してもそれは単に見る人は醜いだけだからいかに料理して昇華できるかだ・・。

まぁ言いたいのはキレイなものだけではなく一見醜いと思えるような対象からも美を見つけだして表現できる人は最強という結論

「悲劇」には悲しみとか辛さしかないけどそこには同じ悲しみや辛さを抱えた人は共感できるという根源的なものがあるから人間は古代から悲劇にも魅せられたりするんである・・。それをカタルシスと呼ぶが。

人間のキレイな部分には美が宿る。でも醜い部分にも実は美はこっそり宿っているという事なんよ。語弊はあるかもしれないけど。

人間の持つ醜い欲望であっても人間の根源にある本質には間違いないから、うまく表現すれば「あぁ人間ってそうなんだよね・・」という心の動きとか琴線に触れる事にもなるよなって。

さっき醜い欲望という話題も出たけど、人間の持つ「美しい感情」には心動かされることはもちろん多いけど、じゃあ「醜い欲望」には心動かされることはないのか?と言うとそんなことはないよな。

じゃあそのリズムって何だろうと。

「刺さる」とは何かというと対象の持つリズムと自分の持つリズムが合わさる瞬間であります・・。

ある芸術が「刺さる」としたらそれは一体自分のドコに刺さったのか。そこからだね。

すべての表現、芸術に言えることだしワイみたいなへっぽこがすぐに分かるものでもないね。

ある存在の何が美を醸し出しているのか、説得力や迫力に繋がっているのかは結構深淵なんだよな。古代からのテーマかもしれないし。

10代や20代のキャラはもちろんキレイで「美」だけど、それしか「美」ではないかというとそんなわけはなくて。それ以外の年代にもそれぞれしっかり美のポイントはある。それを認識出来てるかどうかの違い。さっきも書いたけどさ。

工事現場で汗だくで働くおっちゃんとかにもしっかり美は宿るわけです。

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パっと見の「キレイ」だけが美ではないというか。

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