おはよっ

今日はむちゃくちゃ長い間寝てたな
断続的とは言え11月1日(日本時間)の大半を寝て過ごしていた気がする
ちゃんと目覚めたのは22時前くらいだったみたいだ

知らず知らずのうちにだいぶ疲れが溜まっていたのかな
それとも布団の中で過ごすっていう生活方針が寒さと相まって長期的睡魔に繋がったのかもしれない

もう眠気や疲れはほぼ取れてすっきりしたけどね

けどやっぱり布団の中じゃまともに文章書けないっていうのはあるかもしれない
スマホがっていうよりも布団の中が書くことに向かないのかもな
パソコンの前で座っていないと書く気にならんな
動画とかはスマホの中でも見れるのやけどね

”遠ざかる思考法”ってのを考えた

複雑系を複雑系として捉えるために、何かに興味があったりよりその認識レベルを高めたい時には、あえてその対象を”詳しく調べる”のではなく、”外側との繋がりを眺める”ことで初めて「それ自体」を捉えることができるようになる気がする

例えば一例として、日本の「鎌倉時代」を知りたければ、「鎌倉時代の中身」を必死に調べるのではなく、「鎌倉時代の時空間上の外側」つまりは、そもそも”将軍”とは何かという将軍号の起源やその後将軍号はどう継承されていったのかという過去や未来に連なる「系譜」や、当時の日本の外交政策や交易などの外国との「交流」に着目するとより鎌倉時代という一つの自体をそれよりも広いメタ的なシステムの中の1つの要素としてそれ自体を理解できると思う

複雑系を認識するための反分析法、総合化の道を歩む上でこの”遠ざかる”思考法というのを実験的にこれか取り入れていこうと思うわ

物事の本質を知る上でも押し引きが必要になるということ
分析ばかりではなく時には外部との繋がりを重視して視点を遠ざけてその対象そのものを一つの最小単位として視野に収めることが大事かもしれん

要は”ある対象”の中身を覗いてその要素、要素と視点を掘り下げていった時点で”ある対象”は考察する上での最小単位ではなくなるどころか、思考の視野に全体を収めきることさえできなくなるということや

むしろその”対象”から遠ざかってその”対象”の外縁部までもが収まるくらいに視野を広げることによって初めてある”対象”が一つの単位として独立した活きた輪郭を獲得し、それを最小単位としながらより大きなシステムの中におけるその”対象”の役割や特徴、意味や価値などの本質面に迫ることができるようになるということ

「より知りたければより遠ざかれ」

まだまだ思いつきだけどこの思考法をこれから実践していこうと思う




//思考習慣の変更点という意味で

//一応自分用にこの件について最初に したメモのスクショも乗せとく ほぼ内容は同じだけどね

ここらの思考法に とかとりあえず名前つけておこう

他にこの思考法の名前の候補として、

= //「止観」は瞑想的なものらしい = (世界観 + 史観)

がある
もちろんこれらは、
=
と同じ

「遠ざかって外側(自体もそうだし外側とその対象の繋がりも)を観る」ことがその思考法や観測法の意味ね



更に、

語感的には が良いけど、これだと対象が歴史に限定されているかのような印象を与えるのがあんまよくない

現時点では、 が1番良いけど、これだと前のめりな対象への興味が意味として強く反映されておらず、ただ見ているだけの状態も含まれてしまいそうなので、「認知+認識」で、
でも良いかもしれない

仏教で「阿頼耶識」とかなにかと「〜識」という言葉が出てくるのでそれにあやかるというか縁起のよさをもらうみたいなところでも は悪くない

”遠景認知”の部分は「興味のある対象の外側を視野に入れて対象を最小単位として捉える」こととして、”遠景認識”の部分は「視野の中の”対象”とその外縁との具体的な繋がりを見出してより大きなシステムの中でその”対象”の役割や価値や意味などの本質を捉える」という意味で意味付けしようかな?

=



フォロー

例えば「自動車のハンドル」で言えば、まず最小でも「車全体」が見えるように遠ざかり、更には「車が走っている様子」が見えるまで空間的にも時間的(要はそれを認知できるくらい長い間観察するということ)遠ざかることで、そのハンドルの働きを知ることができるし、ハンドルのドライバーの腕との繋がりをしっかり認識することで「運転方法」が分かってくるだろうし、ハンドルと車の車体との繋がりをしっかり認識することで「ハンドルは魔法の輪っか」などではないことが分かるし自動車の仕組みとその中でのハンドルの役割や価値などを理解できる




とりあえず、これからは迷ったり停滞した時は対象から「遠ざかる」ことを意識しようと思う

テレビ番組とかでよく出てくる「部屋を明るくして離れて見よう」って注意書きがまさに俺の言いたいことを集約させた の本質なのかもしれん

なんだかんだ言って何かを本質的に理解したければまずは が必要なんやろな
調べ物をする時、「(その対象)とは」に続く説明を自分で答えられるように、 作れるように、頭の中で知識や情報を構築していくことが大事なんだと思う

「(その対象)とは」に続く答えを求める欲求を捨てずにその対象について勉強していくことで、その対象の内部の要素や専門的な詳細な情報を掘り下げていっても、どこかで「(その対象)とは」という目的意識さえ失っていなければ、その対象の輪郭が視界から見切れてフェードアウトしてしまうほどに過度に(システムとして認識できなくなるまでに)近付きすることは稀だろうし、仮に接近しすぎても距離を回復させることができてその対象の全体のシステムとしての姿を見失ってしまうことはないと思う




//眠いのでちょっと文章が支離滅裂かもしれない

要するに、「〜とは何か?」というそれを調べ始めたきっかけともなった最初の目的意識、命題を捨てないってことがそれを本質的に理解する上で、その対象内部の細かな要素としての言葉や概念、データなどの情報をたくさん知ろう覚えようとのめり込むよりも大事なのかもな





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