本当は「車のハンドルは魔法の輪っかではない」というテーマで最近得た”分析”と”複雑系”に関して色々書いて最後は東洋と西洋における偏諱文化やTwitter構文論に繋げようと思ってたんやけどちょっと余りにも眠すぎるのでそれは明日で良いわ

本当はこのトゥート書いている間に普通に書いちゃえばいいのかもしれんけどなんか誤字脱字とか間違いとか多そうなので明日にするわ

あとプロジェクトアヴァロンのアカウント登録のための申請書書くのも明日やる


おはおはおっは

とりあえず今日の2:52頃に #走り書き (実際に走りながら書いたわけではない)した内容を少しだけ整形した上でコピペしておこう(次のトゥートとして投稿する)

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変化説 脳や体への過度な暑さや寒さに意味があるのではなく暑さと寒さを交互に体感するその変化のスピードや変化量にこそ意味があるのではという説 整うというのは系思考でいう”関係性”である 要素(分析)主義から構造(システム)主義で考える その場合一番重要なのは空間的差異である”違い”や時間的差異である”変化”のである これを感じることが整うということでは? 過度な暑さや寒さを一方向的にひたすら追求するのではなく普通の暑さや普通の寒さで良いのでそれを体感する変化頻度の速度を重視する これが新たな 法に繋がる?

布団から出た時の爽快感の中で書いた文書 2022/10/31 2:52
要素ではなく節目に着目する

一方向性のベクトルを極めるのではなく変化の頻度や量を追求する

とりあえずサウナ用語の「整う」はアノマリーとして捉える

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結局この前、

fedibird.com/@newshockuchiVrNh
↑ここで書くと言っときながら結局書かなかった(やっぱり何かを思いついた時はその場で書かないと二度と書けない気がするわ)内容と関連しているんだけど、

要するに「世の中の物事の大半は”系”として要素が相互に複雑に絡み合って存在し機能しているのであって、この”系”としての認識を行わずに、ひたすら個々の”要素”を分析するだけでは、ハンドルを握って回転させて車を操縦する人物を見て、その握り締めたハンドルにこそ車全体を動かす魔法の力が宿った”魔法の輪”なのではないかという誤った神秘主義に陥る可能性がある」という文脈から「複雑系( )」という概念を知ったというある種の報告トゥートがしたかったのよね

要素還元主義的で分析的な西洋科学に相対する形で東洋では昔から抽象的で総合的な世界観(仏教や道教などにおいて顕著に表れていると認識している)があって、そのような後者のあらゆるものは連環して存在していて、化学反応的にある要素とある要素の”関係性”や”距離”、あるいは時間的な”変化”にこそ重要な作用の原因が存在している... [参照]

//返信先のトゥートの内容の続きね

という世界観に基づいた上で、だあらこそ自分なりの なり における三上状態というのは、やはり「あるベクトルのどこかの”位置”」ではなく、その変化のタイミングやその頻度、変化量にこそ着眼点が起こられるべきだと思ったのよ

「脳が温められた状態の時の方が良いのか、脳が冷えてる状態の時の方が良いのか」というグラフ上の”一点”を探すのではなく、「頭の半分だけ冷えている状態」とか「ずっと温まっていた状態で一気に冷えた時の状態」とか空間的差異や時間的変化(二個前の返信先の #走り書き 内のトゥートでの「差異」とかの使い方と使い方をちょっと変化させていることに注意)にこそ着目すべき点があるのではないかと思った

古代インド哲学や密教、禅、あるいは現代的スピリチュアルの実践においてもこの『差異と変化』という構造主義的で系観的、抽象的で総合的な見方や考え方を反映させていくことにします




//本紀トゥートには含めない トゥートね

少なくとも言えることは、今日は昨日の椅子の前に座って今くらいの時間帯(3時台とかそのくらいだったはず)にずっとじっとぼーっとしてしまっていた反省を活かして、温度が下がって日照量が少ない深夜帯は布団の中で色々動画見たり調べものしたりすることにしていたのよ

「頭や体をあっためることが良い意味での興奮・覚醒状態に繋がるのでは?」という仮説(

//まーたパソコンに座ってそっから色々と二時間くらいフリーズ(試しにお湯とか飲んだり歩いたりもしたけど)してもうたけどこれ書いたのは3時台ね
//ドライヤー使って神経だか脳細胞だかを解凍したけどやっぱ寒いところはアカンわマジで




//今俺が書いてるトゥートは本紀トゥートね

やっぱり「寒い」という状態、熱のグラフ上の位置?点?は精神に悪影響、というか脳をフリーズさせてしまうことは事実だわ

『差異と変化』が”整う”ために大事であるというアノマリーは俺自身が布団で動画見たり調べものしている状態で徐々に興奮してきってお茶かなんか取りにいくために台所いった時に一気に興奮してしまった今日のひとときからも体験しているのだけど、そのピークなり本質があらゆる『差異と変化』(音にせよ光にせよ熱にせよ情報にせよ)に宿るのか、あるいは熱という文脈においては「温まる→冷える」の”→”の瞬間にのみ発生するのかはまだ分からない
今後とも調べていこうと思うわ

あと返信先のトゥートで書ききれなかった(というか思考停止して投稿してしまった)けど、今日のおはトゥーからの3時台の興奮・覚醒状態でのトゥートは「布団の中で温まる→台所行って冷える→ #走り書き →投稿』の流れで書いたものね

この熱と脳や心の間の影響や関係はマジで重要やな

フリーズしてる間に思いついたことが抜けてったり感情的な熱を失ってしまったけどなんとか思い出して書くわ

・この #三上探し の中の #心の断熱性 文脈と強く関連する今日の発見(要するに一方向性のベクトルやグラフ上の特定の位置ではなくその変化やあるいは空間的な差異にこそ意味があるのではないかという仮説)を覚えやすいように『変化する差異』論とでも呼ぼうかな 「🦏 (犀)」はスッタニパータだったかなんかの仏教書にも何度も出てくる言葉だしな
*・というわけで『 』を新しくタグとして立てておく
**・ただし『 #変化する差異 』だと俺が当初思い描いた意味とは異なるので( 表記で改変しているので)当初の意味をそのまま反映させた『 』(要は空間的な同時点での”差異”と時間的なそれぞれの要素の”変化”の二つを並列に並べてた意図を反映させている素直なタグ)も新規にタグ立てしておく




フォロー

//返信先のトゥートと箇条書き表記の”*”の流れは続いているからね

***・このような「同時点でのそれぞれの要素の”差異”」と「時間を経過させた時のある要素の”変化”」を感じた時に”””面白い!!!”””と感じて心が興奮・覚醒するという「”要素”観」と相対する「”系”観」に基づいた #🦏 差異と変化 (絵文字をタグに入れられるかのテスト)説と前に書いたそもそも系そのものを距離として置いて”温度差”を人工的に構築しようという 理論は相互に関連しているということを踏まええる必要がある はどちからというと 説に基づいた上での「面白さ」をつくるための”戦略”と言えるかもしれない

*・俺が今日意味を見出した「差異」と仏教書によく出てくる「🦏 (犀)」の音が日本語的に同じであるという新たな (新しく作ったタグね )的な発見と共にもう一つこの 文脈で新たな 的な発見をしてしまった
**・それが「涙(なみだ)」は「波だ!」から来ているのではないかという説

//箇条書き的な繋がり的にも内容的にも続く

***・要は人が「涙」を浮かべる時っていうのは「波」を感じた時なんだよ 何かの”変化”を強く感じた時に泣く 特に他人や自分の境遇や立場における「波」を感じた時に泣くよな 良い状態から悪い状態になる時にも、悪い状態から良い状態になる時にも泣く

・AI絵も一枚の絵の中に異なる”絵師”による異なる”表現性”が合成されているという同時に存在する「差異」が面白さの要因なのかもしれない # 存在認知戦術

・夏にテンション高かったり捗っていたのは”クーラー”を効かせていたからかもしれない 部屋を出るたびに”熱”の「差異」や「変化」を感じることができて習慣的に体感熱の変化の波を感じる状態、つまり日常的に”整い”続けられる環境だったのかもしれない

・適温性か日照量のどちらが重要なのか、またそれらの定点的な『適値』が重要なのかそれとも俺が今日思いついたようにそれらの値の『変化と差異』の方が重要なのか、ここら辺これから確かめていきたい重要なテーマの一つやな




//返信先へのカイゼントゥートね

>ここら辺これから確かめていきたい重要なテーマの一つやな
⤴ここら辺はこれからちゃんと確かめていきたい重要なテーマの一つやな

//注釈トゥート

この返信先のトゥートが連なる一連の 連トゥーの中で というタグを使ったけど、これ正確にはいわゆる ってよりも「修行」だよな

そういう苦しみを目的としない「修行」に関しては のタグを使って に対応させる形でも調整していくのでよろしく

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