────── #走り書き
変化説 脳や体への過度な暑さや寒さに意味があるのではなく暑さと寒さを交互に体感するその変化のスピードや変化量にこそ意味があるのではという説 整うというのは系思考でいう”関係性”である 要素(分析)主義から構造(システム)主義で考える その場合一番重要なのは空間的差異である”違い”や時間的差異である”変化”のである これを感じることが整うということでは? 過度な暑さや寒さを一方向的にひたすら追求するのではなく普通の暑さや普通の寒さで良いのでそれを体感する変化頻度の速度を重視する これが新たな #苦行 法に繋がる?
布団から出た時の爽快感の中で書いた文書 2022/10/31 2:52 #き #にっき #自分語り
要素ではなく節目に着目する
一方向性のベクトルを極めるのではなく変化の頻度や量を追求する
とりあえずサウナ用語の「整う」はアノマリーとして捉える #便利な概念や言葉
────── #走り書き
結局この前、
https://fedibird.com/@newshockuchiVrNhpITiB745Kkg/109249203897326414
↑ここで書くと言っときながら結局書かなかった(やっぱり何かを思いついた時はその場で書かないと二度と書けない気がするわ)内容と関連しているんだけど、
要するに「世の中の物事の大半は”系”として要素が相互に複雑に絡み合って存在し機能しているのであって、この”系”としての認識を行わずに、ひたすら個々の”要素”を分析するだけでは、ハンドルを握って回転させて車を操縦する人物を見て、その握り締めたハンドルにこそ車全体を動かす魔法の力が宿った”魔法の輪”なのではないかという誤った神秘主義に陥る可能性がある」という文脈から「複雑系( #便利な概念や言葉 )」という概念を知ったというある種の報告トゥートがしたかったのよね
要素還元主義的で分析的な西洋科学に相対する形で東洋では昔から抽象的で総合的な世界観(仏教や道教などにおいて顕著に表れていると認識している)があって、そのような後者のあらゆるものは連環して存在していて、化学反応的にある要素とある要素の”関係性”や”距離”、あるいは時間的な”変化”にこそ重要な作用の原因が存在している... [参照]
//返信先のトゥートの内容の続きね
という世界観に基づいた上で、だあらこそ自分なりの #苦行 なり #三上探し における三上状態というのは、やはり「あるベクトルのどこかの”位置”」ではなく、その変化のタイミングやその頻度、変化量にこそ着眼点が起こられるべきだと思ったのよ
「脳が温められた状態の時の方が良いのか、脳が冷えてる状態の時の方が良いのか」というグラフ上の”一点”を探すのではなく、「頭の半分だけ冷えている状態」とか「ずっと温まっていた状態で一気に冷えた時の状態」とか空間的差異や時間的変化(二個前の返信先の #走り書き 内のトゥートでの「差異」とかの使い方と使い方をちょっと変化させていることに注意)にこそ着目すべき点があるのではないかと思った
古代インド哲学や密教、禅、あるいは現代的スピリチュアルの実践においてもこの『差異と変化』という構造主義的で系観的、抽象的で総合的な見方や考え方を反映させていくことにします
//本紀トゥートには含めない #き #にっき トゥートね #正史ツリー
少なくとも言えることは、今日は昨日の椅子の前に座って今くらいの時間帯(3時台とかそのくらいだったはず)にずっとじっとぼーっとしてしまっていた反省を活かして、温度が下がって日照量が少ない深夜帯は布団の中で色々動画見たり調べものしたりすることにしていたのよ
「頭や体をあっためることが良い意味での興奮・覚醒状態に繋がるのでは?」という仮説( #仮説宣言)
//まーたパソコンに座ってそっから色々と二時間くらいフリーズ(試しにお湯とか飲んだり歩いたりもしたけど)してもうたけどこれ書いたのは3時台ね
//ドライヤー使って神経だか脳細胞だかを解凍したけどやっぱ寒いところはアカンわマジで
#コンセプトハイフロスガー //タグ付けトゥートね