おは

ちょっと海外の反応ブログ読んでて思ったんだけど、 でよく使われている、

・「~なわけで」
・「大体あってる」

ってそれぞれそのまま、

・「~なわけで」 ←for this reason
・「大体あってる」←that is almost correct

辺りからの借用語なのでは?

ここら辺は前にも、

・「控えめに言って」←to put it mildly , to say that least
・「大嘘」←big lie(『我が闘争』より)

↑以上の二つが欧米語からの借用語であることを指摘したけどやっぱりTwitter構文って完全に英語構文や英熟語に支配されてるよね?

イーロンマスクさんがTwitter買収する際にTwitter上のBOTの数などについて揉めてたけど( )マジでこういうのを見ていると、Twitterユーザーが積極的に英語から構文や熟語を輸入しているというよりも、BOTが機械的に何かを訳していたり要約していたりするのでは?なんて思ってしまう


やっぱ”寒さ”か”日照量の少なさ”かあるいはその両方の要因は本当に人間の、少なくとも俺の活動量を圧倒的に減らすな

冬山で眠くなるなんて話があるけど今日の深夜とかずっと起きてたのに何かを書くことも、ネットとかを見るわけでもないのに椅子の上で仮死状態みたいな感じでぼーっとしてたわ

ある種のコールドスリープとかそんな感じのに近いのかもしれない

調べたら「脳低温療法」ってのは存在するみたいだしやはり脳は”温度”の影響をかなり受けることは事実みたいやね

今日のAmazonタイムセールでマジで帽子買おっと
マスクによるTwitter買収効果でドージコインで相当含み益出たしな

あと更に #自己啓発 的な手法を思いついたわ

俺は過去の経験を振り返ってみても「期待されること」に対して異常なまでに抵抗感があるんだと思う

「期待されている状態」が自分にとって余りにも負荷になりすぎる
逆に「呆れられている状態」とか「舐められている状態」とか「軽視、軽蔑、抑圧されている状態」くらいの方が頑張れる気がするのよな

最近自分の中で「自分に対して期待する自分」みたいな心理、というかある種の人格?的なものが生まれつつある

自分のことを「こいつはすげえわw」と評価している誰かをつい想像してしまうことがあるというか

なのでこれを打ち消して中和させるために「こいつ全然ダメだな(呆れ)」とか「今日なんもしてねえじゃんこいつ」とか「まだこんな認識でいるのかよこいつ...遅れてんなあ」と自分を見てとにかく呆れていたり苛立っていたり叱責している”誰か”を想像し、心をすごい広い意味で和ます方法を考案した

俺はどっかで「ダメ人間だなこいつ(怒り)」と思われ続けていないと頑張れないのやろうな

自分で自分を評価し始めたらそこで終わりや



そろそろ10月も終わるので軽く をしておくと、俺は10月頃に「自分で自分のことを評価し始めた」のやろうな

これが”10月の不調”の原因なんだろう

んで結局、振り返ってみると実際には悪くない月だったのよ
けど10月の中頃かな?

10月の20日にJP鯖を離れてこっちのインスタンスに毎日投稿するようになったけど、そっから自分の中である程度自己満足いくようなトゥート(、その本質は”認識の成長”にある トゥート自体が重要というよりそこで表現した”認識の成長”がメインね)ができたのは徹底的に自己評価を下げたからなんだろう

頭の中の「自分に期待する他者」や「自分を褒める他者」を中和するように(実際には”期待される”よりもむしろ”褒められる”事の方が苦手なのかもしれん)、「自分に呆れる他者」をひたすら念じて想像することが大事なのかもしれないという仮説を立てておく



あー、あと思いついたのがもうこっちのFedibird鯖の方が居心地が良くなってきてしまったので(特に検索機能があることが大きい)、こっちをメインにして、JP鯖には週報や月報みたいな感じ(確かかつてSlackの学習コミュニティみたいのに入った時に知った概念の応用)で とかそんな感じのを投稿していくことにしようかな

自分自身でこれよかったなというトゥートをリンク付きで振り返っていく感じにしようかと思っている

これもまた考えよう


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あと深夜に思いついたこと書こうっと

俺は前々から「都市伝説や陰謀論系のインフルエンサーもむしろ権力側なのでは?」という疑念を抱いていた(少なくとも去年度の冬頃には)

そんでそれとは関係なく今日、第二次世界大戦の時の「ハンブルク空襲」ってのについて調べていて色々と繋がったんだけどさ

”連合軍って戦略爆撃をする前に事前にそのことを予告するビラを撒いていた”...のよな

日本でも東京大空襲の時とかにそれを予告するビラが撒かれていたってことは結構有名やん

それと同じようなことは英米によるドイツに対する爆撃時にも行われていたらしい

そうやって考えると、余りにもリアル過ぎる「陰謀論ネタ」と、その陰謀論ネタを超越するかのように暴走しまくる「現実社会」ってのは、これはもう戦時中の「爆撃予告ビラ」と同じで、なんらかの勢力による既存体制に対する攻撃が事前に”陰謀論”という文脈の中で告知されているということなのでは?と思い始めている

当時の予告ビラとされる画像(添付画像に貼っとく)とか色々調べてみると、絶対当時はホラ話扱いされて一笑に付されていたんだろうなって感じの文言だしさ~

返信先の画像(なぜか切手が貼られているけどこれは戦後に記念品にするために切手が貼られて消印がつけられたらしい よく分からんけど 画像の出所で説明されていた→ yosukenaito.blog40.fc2.com/blo )とか読むとこんなビラを読んで実際にそれを信じた人やその上で逃げ出せた人はあんまりいなかっただろうなってことは容易に想像できる

結局、「ビラを撒ける」ってことは既に制空権を失っているということなんだけど、多くの国民はそんなこと知る由もないために、ひたすらよく分からん状態の中でこれまでの常識では考えられなかったような正体不明の”異常事態”だけが起こる日常に投げ出されて、当初はこういうビラも「非常事態に漬け込んだ悪質なデマ」みたいな感じで憲兵とかマスメディアとかに処理されていたんだろうな

戦時中の国民は戦艦『大和』すら知らされていなかったみたいだし、大半の一般国民というのはもしかしたら実際にはその当時どこの国と戦争していたかも、なんなら戦争していたことさえろくに認識できていなかったのかもしれない




ま、第二次世界大戦中の一般国民の戦争に対する情報認知率みたいのがどれほどだったか、これは今となっては(公開情報そのものが操作されている可能性も考えなくてはいけないので)分からんけど、いずれにせよ戦況についてはほとんどの一般国民は全く正確な情報として知らされていなかっただろうし、現代の一般国民も構造的には当時の戦時中の一般国民と全く同じ立場に立たされているというある種の”現在”に対する当事者意識を持ってこの時代を眺めてみると、全部終わってから「あー!あそこであんなことが起きたのはあの勢力がこういう攻撃を仕掛けていたからなのか~」とか「そもそもあん時から戦いは始まっていたのか」とか「陰謀論系の情報を流していたのはもう既にそっち側の勢力が勝ち始めていたからそのことの証明?情報開示としてそっち側の陣営が流していたのか」みたいに後になってから答え合わせができたりするのかもしれんね




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