秀や日出は本来「ひでえ」から来ていて悪い意味だった説

だから歴史上の人物でも丹羽長秀や秀吉や光秀など織田家の低い身分出身の人物しかつけてない
それ以外の例では唯一歴代将軍で名前に「秀」が入る秀忠は家康の子で低い身分出身ではないけど秀忠の秀は秀吉から偏諱されたものなの
また「秀」の字の意味は桃山時代のタイミングで一時的に意味が変えられようとした可能性がある
というのも東アジアでは権力者の名前に合わせて一斉偏諱が行われその意味や使われ方が変わることがある
例えば本来クニには邦の字が当てられていたが漢の劉邦の名が邦だったために一斉に偏諱が行われクニには国の字が使われるようになった

豊臣政権は短命だったためにこの偏諱は限定的にしか定着せず徳川家も秀の字は使われなくなった

今、秀が良い意味で使われているのは「日出処」を肯定するための明治維新か戦後に行われた措置で本来は日出処は「ひでえところ」で日没処と日出処はそれぞれ日が向かうところ、日が流出するところ的な意味だったのでは?

日本語帝国主義
忌みを見出す

というわけでこの日本語帝国主義ってのも変えました

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あ、あと「日出処」「日没処」は「日が出ていってしまう処」「日が行きたがっている処」と解釈したら後者の方が良い意味になるよね

明智光秀、中国からの刺客説を前に唱えたけど、ほぼ庶民出身の光秀が、偏諱文化(偉い人や存在と名前被りを避けなくてはいけない)が根強かった当時の東アジアで「明智氏」なんて思いっきり明王朝と名前が被っている名称を名乗れていたって考えづらい

というわけで”明智光秀”は”親魏倭王”のような明王朝から与えられた称号説を考えた

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