ヒカキンか誰かだっけな
フォロワーの数は監視者の数とかいう名言もあったな
昔のTwitterみたいに、それこそ評価経済社会のように「フォロワー=パワー」という時代は今や懐かしいな
俺も2010年代後半くらいまではフォロワー数を単純に増やそうと何度か頑張った記憶
今はその志向性すら失われた
こうやって徐々にみんな孤立を選んでいくのかな
モラルではなく、力による言葉狩り、権威による言葉狩り、ブランドのための言葉狩りが始まる
そんな時代はみんな自力救済しなくちゃいけなくなってくる
コンプレックスは風化する
されど恨み辛みは風化しない
的な話を思いついた
一時のコンプレックスに突き動かされて書いた情報はそのコンプレックスを形成した秩序が崩壊した後になって後悔しても消せない
昔のイギリスとかアメリカの軍歌?国歌の中にスコットランドがどうたらイングランドがどうやらやたら具体的に何かを敵視する歌詞が出てきて何言っとるんやみたいになる現象と同じ
俺は「何言うとるんや」で済むけど当事者からすればそれで済まないよな
これ前にも書いたけど重要なことは何度も書くわ
憎悪表現であればあるほどハイコンテクスト化してその原因はいちいち直接示されないことが多いから後から見返した時にクズにしか見えなくなる
#休み時間の過ごし方