これを「宗教の垣根を越えて結託している」などと、政治思想の如何を問うのでなく、あくまで宗教という要素に拘り、「信仰を持つこと自体が特殊で危険である」という価値観を推し進めることは差別的であり、
かつ問題の解消にも繋がらないため、この「宗教右派」という語の差別的濫用を批判しています。
(シネマンドレイクさんも、「純粋に信仰しているだけなんて状態はそうそうなくて、宗教と政治の接続はあるものです。」「日本でも多くの宗教は確かな基盤を持ち、どこかしらで権力に接続しています。」と謎のホラーみたいなことを仰っていますが、この場合の宗教の定義とは?仏教出典の「宗派の教え」を意味する「宗教」の語でなく、明治に登場した訳語である「宗教」の語の定義は、この国の思想統制によって非常にややこしい変遷を辿っておりますが、我々神道の者はその中に入れて頂けるんでしょうかね?入れる/入れないとしたらそれはどういう基準で?)
補足:
(日本/日本語の)は、「少なくとも」(日本/日本語の)の意です。個々の宗教名で〇〇教系右派団体等とせず全部ひっくるめて「宗教右派」とすること、信仰を持つ持たないで分類することはアメリカでも問題になるのでは?と思うのですが、他に関してはデータがないのでどうとも言えません。