ちなみに明治まで、神葬祭は吉田の当主くらいしか許されなかった。神主だろうが問答無用で仏式だった。天皇家ももちろん仏式だった(一応書くけれど天皇家の信仰=神道とは全然限らない…)。
神仏判然を望んだ神道の信仰者たちの悲願のひとつが「神葬祭で自分の葬式を出す」だったんだけれど、結局そうして迎えた明治維新では「神道は宗教ではない」とされてしまったため、結局一般の神道の信仰者は神葬祭できないままだった。できるようになったのは本当に最近のことです。
でも正直、多分生前からそんな細かいこと一々指定できるほどに葬儀という分野に関心のある方ばかりじゃないだろうし、実行できる余裕があるかどうかという問題もあるので、
「なんでもええわ(実際はなんでもよくはない)」という方の多い中で利便を取ると「〇〇の地域の・〇〇教式で」みたいなパッケージ葬式から個々の信仰や価値観と照らし合わせて、「どれくらい違和感がないか/親しみやすいか」くらいで考えて選ぶ状態になるよね、
そして自分で選ばなければ(選べなければ)、結局その土地でメジャーな葬儀になっちゃうよね、
いやでも余裕なければ選択肢減るのって何であれめっちゃ嫌よね、
遺言に残した場合はそのように行われてほしいし、遺言残さなくてもせめてサ〇ウェイ程度には選択肢あるといいよね、
そしてせめて「神葬祭」のパッケージを選んだ方やたぶん選ぶであろう自分が、しんどさ少ないようにしたいよね......の話です。
ざっくり喋りすぎたので補足。
他教/自教の境界線というのはめっちゃ腰味ですし、結局のところ葬儀は最終的には地域の文化にかなり大きく影響されるものなので...(明治以前も大きく「仏式」と呼びましたが、まあ、まあ、「仏教要素/その土地の寺の影響が強い」というくらいにした方が正確かもしれない…)
「神葬祭」として行われているものは今も昔も統一された規格などは全くないので(明治からの宗教統制期に神葬祭がなかったから…)、
「俺はこの神葬祭で送られたい!」みたいなのは、現在でももう祭具やら式次第やら、何から何まで遺言で指定するくらいじゃないと正直難しいように思います。
だって共通の他界観もあんまりないもの...少なくとも葬儀社の提示するパッケージはうちの神葬祭ではない…
なので他教まで離れるともちろん無理だけれど「神葬祭ならなんでもいい」もできないな、と思います。
このへん多分「〇〇教ではこれとこれがセットで」のような統一パッケージ化がされていない信仰体系や、パッケージに納得できない方の式は全部そう…
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