なんか多分、信仰というと「〇〇教」とラベルのついたガチっとした箱の中に飛び込んでその箱の形に合わせて暮らすようなものばかりを想定されている気がする(そういうものもないわけではない)、と最近思う。
しかし実際のところ、それぞれの営みの中で醸された個々の信仰に使われている材料に共通の素材があるかどうかをみて「しいて言えば神道グループ」「どちらかというと仏教グループ」のようにふんわりしたものを「神道」「仏教」「道教」などと呼び慣わしているというのが実情に近いように思う。
そしてその名前って、他者と区別する必要がなければ、なくて構わないものなんですよ。
信仰の名前の多くは、他者が外から分類するためか、外圧を感じた時に生まれるんです。
ご自身の信仰に名前がないと思っている方は、「名前がなくても不都合がなかった」ことの意味をちょっとだけ考えて頂けるといいな、と思う。
信仰の名前は誰もになかったし、誰にもあったんですよ。