宗教差別
それは信仰心そのものの話か?名のある宗教者による信仰の解釈の話か?その解釈を支持した宗教団体の話か?解釈を利用した政治の話か?解釈を利用した商業と経済の話か?それらから形成された社会正義や道徳の話か?その社会を形成した個々人の話か?
それらを『単なる一個のものの腑分け』として語れると思うのなら、その主語は「宗教」ではなく「人類」などで構わないのでは?
その与太話によって一体何を批判し改善できるやら知らんが。
https://twitter.com/ppponsu/status/1710540544047468992?s=46&t=W6JFOp-IuiLQhD_im3POJQ
宗教差別
私は今ここでは「この問題について」批判し抗議しその論拠をあげているんだよ。 何故こういった批判の度に毎度毎度「そもそも宗教は害悪で不要ではないか」みたいな話をされねばならんのだ。 お前らは水素水詐欺が横行した時に科学そのものの罪を責めたのか? 何故宗教に関しては何か問題がある度に宗教そのものとかいうデカい主語で「特定の信仰を持たないと自認するマジョリティの皆様」に要不要を検討して頂かねばならんのだ?
横浜の維新市議が性的少数者を差別 「同性愛で街滅ぶ」逸話を引用 法の趣旨外れる持論展開(カナロコ by 神奈川新聞)
#Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/1ce35e2c9ba8eb7146afe39bb8740dcfe3b5c8bb
宗教差別
己も己の在り方も完全に無謬であるなどとは毛ほども思ってはいませんが、
ここで宗教そのものの功罪を持ち出すならば、もちろん同じように科学も芸術も経済も、あらゆる学問も文化も全て有罪であり、今ここで同様に持ち出して批判すべきと考えているんですよね? であればやはり、主語は人類だとか生物だとかの方がよろしいのでは?