100%の事実がわかってなかったとしても「大枠でこうだろう」と言えることはいくらでもある、というか、世の中の事象は当事者でもないかぎりほとんど全てがこれだよ。
報道の当初から話を追っていておおまかにでも問題を理解していれば、斎藤がパワハラしてないとか職員の自死はパワハラとは無関係とか、おおよそそんな事実認識に至るはずがないので
事実に関して相反するAB二つの主張のうち、「どちらが正しいかわからないからどちらとも言えない」つうのがまたナイーヴな見方でさ。Aを裏付ける圧倒的な証拠があってBにはそれがまるでないときに、前者の証拠のいくつかに瑕疵があったとしてAが「概ね確からしい」、ということは揺るがないわけで、Bを斥けてAを認定して何の問題もないわけ。
こういう「100%の確かさがないと断定的なことは言えない」という間違った認識持ってるナイーヴな連中が思いのほか多くて、そういうのが今回の兵庫県知事選でコロっと騙されたというわけだよね。
Aを排斥するために偽情報に訴えるとともにAの些細な瑕疵をあげつらってAは信用できない、という結論に持っていこうとする手法、歴史修正主義者に瓜二つだよな。吉田証言にまつわるバカウヨの攻撃とそれがなんとなくまかり通ってしまった経緯とかまさにこれだろ
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