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全6章

まえがき 学校教育風の視野の狭い図式である「学習」と言うことを避け、「認知的変化」と呼ぶ。それは自覚できない無意識的なメカニズムであり、要素に還元できず意図の介在しない創発をもたらしている。

第1章 能力という虚構 能力というのはアブダクションから生まれた仮説である。そこに不適切なメタファーが加わることで、誤った能力観が広まっている。能力の安定性、内在性という見方は、人の認知にほぼ普遍的に見られる文脈依存性を説明できない。

第2章 知識は伝わらない 知識は主体の持つ認知的リソース、環境の提供するリソースの中で創発するものであり、モノのようには捉えてはならない。絶えずその場で作り出されるコトとして捉えなければならない。

第3章 上達する――練習による認知変化 練習による上達にはうねりがあり、直線的に上達が進むわけではない。用いられる複数の認知リソースが微細に異なる環境の中で相互作用する中でうねりは創発し、次の飛躍のための土台となる。

第4章 育つ――発達による認知的変化 発達による変化にはうねりがあり、階段状に進むわけではない。うねりはそこで用いられる複数のリソースが絶えず揺らいでいるから生み出され、うねりは創発のための土台となる。

第5章 ひらめく――洞察による認知的変化 ひらめきは突然訪れるかのように語られることが多い。しかしひらめきは練習による変化、発達による変化と同じ、つまり多様で冗長な認知リソースとその競合による揺らぎが、それが実行される環境と一体となり創発される。

第6章 教育をどう考えるか これまで見てきたように、練習を通した学習、発達、ひらめき等の認知的変化は、複数のリソースが存在し、それらが競合、協調を重ねながら揺らぎ、状況、環境と相互作用しながら進んでいく。この章ではこうした観点から教育について考えてみる。まずはじめに教育についての思い込み=素朴教育概念を再検討する。そして素朴概念が、教育を間違った方向に進める危険性を指摘する。文部科学省が主導するさまざまなレベルの規格化はこれの端的な現れである。

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