ASDの特性なのか雑談がとても苦手、というかそれが雑談であることにも気づかなかったりする。発言者が結論を出すためでも議論するためでもなく、ただなんとなく持ちだした話題に発言者と同じ適切な「ノリ」で応えることもできない。
何度か質問してその話の全体像をはっきりさせようとしたり、事実関係や詳細を確認しようとしたり、その場でネット検索して調べたりまでしちゃうからかなり嫌がられる。
この雑談のできなさにかなり悩んでたけど、これは非オタクがなんらかの作品についてカジュアルに言及したり感想を述べたとき、当該作品のオタクがとんでもない質量の追加情報を喋り立てたり作品やキャラクターへの思い入れまで語ってしまうようなものだから、どうすることもできない。

> 何度か質問してその話の全体像をはっきりさせようとしたり、事実関係や詳細を確認しようとしたり、

これは相手の話に興味を持っているときの態度なので、適度にやれば「聞き上手」として話している相手から嬉しがられる態度だと思うのですが、行き過ぎてしまうのでしょうか?
まず「これは雑談である」と判断することで程々の質問にすることはできないですか?

ネットで、自分は〇〇(ASD, ADHD,…)だから困っている、という人をたまに見ますが、その人の書く文章からは「変わってる」という点は感じないことがほとんどなので、その文章を書くときの意識で生活したらスムーズに生活できるんじゃないかといつも思います。
特に、「自分は〇〇だから□□をしてしまって相手から困惑される」と自分で認識している場合は、その困ったことが起きそうになっていることを察知して避けることはできないんでしょうか?

文章を書くときのように時間をかけて考えられるときと、とっさの会話では違いますか?

ここまで書いて思いました。私のこのリプライは、軽い気持ちで書いたことに対して根掘り葉掘り聞く、一般的に嫌がられる行為なのかもしれないと。

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>ここまで書いて思いました。私のこのリプライは、軽い気持ちで書いたことに対して根掘り葉掘り聞く、一般的に嫌がられる行為なのかもしれないと。

そうですね、わたしが雑談に対してとってしまう対応はこのような感じですね。
barlow2001さんは「このリプライは、一般的に嫌がられる行為なのかもしれない」と書かれてますが、そう思ったにも関わらずリプライしてしまうのと、わたしが単なる雑談に対して自分の「知りたい」という欲求を優先させ相手の「応答する負荷」に無頓着になってしまうのと似てるかもしれません。

> ネットで、自分は〇〇(ASD, ADHD,…)だから困っている、という人をたまに見ますが、その人の書く文章からは「変わってる」という点は感じないことがほとんどなので、その文章を書くときの意識で生活したらスムーズに生活できるんじゃないかといつも思います。

当事者でない方からしたら「文章を書くときの意識で生活したらスムーズに生活できるんじゃないか」と不思議に思われるかもしれませんが、発達障害の特性は努力で克服できないことも多いです。
克服できないことを前提にして困りごとを回避するための工夫を紹介している書籍や知名度の高い当事者の方もいるので、わたしに聞くよりもそういった情報にあたってみる方がいいとおもいます

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