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『ブラックパンサー:ワカンダ・フォーエバー』、観る側が前作主演の逝去を踏まえていることが前提になるという点は今の我々からすると当たり前なことなんだけど、後世からしたら随分ハイコンテクストなことなんではないか。
ただ前作主人公が死亡しただけならこんなただひたすらに「前に進まなきゃ」を言い聞かせるだけで成り立つような物語にはならんはずだし。
最近の色々な作品を踏まえなくてはいけないというMCUのハイコンテクスト化は単に数の問題であって、本作の方が「観客全員がチャドウィック・ボーズマンの死を共有している」ことを求められる点ではよっぽどハイコンテクストではないかと思う。あの訃報の衝撃を知らない30年後の初見の人はこの進まないといけない重みがどれくらいわかるのだろうか。
前提条件から考えると、本作はチャドウィック・ボーズマン=ティチャラの死から始まる喪がどう明けるかの物語である以上、「戦うべき敵との戦闘」というMCUフォーマットがとても邪魔だと思ってしまった。そのフォーマットはMCUの商業主義的側面そのものであるし、死を悼むからこそ「戦い」のない物語でもよかったのではないか。

なんとなく家のことを残しておきたかったので。

ロフトからもスクリーンが観えるので映画を上からもいける。

ジップロック出てたり生活感満載だけど。テーブルも椅子も元々実家で使ってる。小上がりのちゃぶ台や座椅子は家人が持ってきたのだし、引っ越すにあたって家具を何も買わなかった。その分年季が入ったのだけ残った。

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家の中にこういうタイプの灯りがあるとホッとする。

500文字は割と感想残すにはいい長さなのかもしれない。

Fedibird

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