当事者というのはどこまでいっても当事者だけであって、部外者はどこまでいっても部外者であるということの分を弁えるという謙虚さがSNSには必要だよ……。何にでも発言して何にでも「正しい」なんて人類には不可能であって。「正しさ」にはひとつの解しかないならまだいいけど、複数の解がある上に見る側によって解ではなくなる(が故に批判もされる)。自死という最悪の結果が提示されてもなお、「誰が悪かったのか」ゲームが続くというのは異様。むしろ、そのゲームのプレイヤー達が一番追い込んでたんじゃないかっていうね。
自分も含めて言うけど人間は何にでも全部正しくいられないんだよ……
SNSが増幅させたのは、「自分が正しい側にいたい欲望」と「自分が正しいからいくらでも殴りたい言葉の暴力性」と「自分が正しくない事実は拒否する頑迷さ」に加えて、「無限に拡張する当事者性」だと思うよ最近特に。
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